「笑う門には福来たる」

 あまり気にやまないで、いつかいいことあるよと、気にやんでいる最中の人に言うと、かなり気を悪くされる可能性がある。だがその人も、おそらくご自身の気分が上向きになっているときならば、そう実感することもあるかと思う。

 気楽にしていられたら、それが一番よい。

 わたしは今年にはいってから「今日はうまくいく、失敗する理由が思い浮かばないから」と、自己暗示のようにひと呼吸あけて作業をすると、うまくいくことが実際にあって、この暗示がずっと効力を持ってくれることを、ひそかに期待している。

 ポジティブに考えることができるようになったのは、生きているだけですごいことなんだという実感が、強くなってきたからかもしれない。

 以前のわたしは、こんなことを書くと「その程度か」と、苦笑または憤慨される方もいらっしゃるかもしれないが、「生活が急に変わって、1日1杯のコーヒーすら、飲めなくなったら」やら(コーヒー好きである)、「1日のうち、自分の好きな時間に洗濯ができなくなったら」やら(洗濯は趣味の域である)、「狭い家で知らない人たちと暮らせと言われたら」やら(孤独もしくは人との距離感を大切にしている)——次から次へと考えては「そんなことになったら嫌だ」と、おびえていた。
 おびえたところで、防げる話ばかりではない。どうにもならない。実際に突然の変化が起こっても、その後にまた生活を立て直すしか道はないような内容であっても、思いついてはおびえていた。

 だが、ふと考えた。それらが、一時的にできない事情が生じたとして、だからなんなんだ、と。

 生きて、体力を維持できる程度に日々の食事がとれて、心を穏やかにすごしていられたら、あとはもう「生きていられるだけで、すごいじゃないか」と。そう考えたら、楽になった。

 昨日と同じような話を書いていて恐縮だが、成功しなくてはいけないとか、結果を残さなくてはとか、自分を追いこまず、自由にしていると、なぜか物事がよいように運ぶ。

 自分が暗くしていては接してくれる側にも迷惑だろうが、明るくしていて迷惑ということはあるまい。明日からも、できるだけ明るい表情で人と接しようと思う。もちろん大半の方々は「画面上で、文字上で」のことだが。
 

「どんなことにも、終わりはある」

 気分が暗いとき「こんなこと、いつかは終わる」と思うこともあるだろうし、楽しいとき「いつまでも、つづくわけじゃない」と思う人がいるかもしれない。思いは逆だが、表現は同じ。願いは逆でも、言葉は同じ。

 終わり方はどうであれ、物事はかならず終わる。それだけは確かだ。

 8年この家にいた義母が施設にはいることができて、そろそろ2年になる。最初から「これから8年ですよ」と誰かに言われていたら、どう感じたかはわからない。もっと長い可能性もあったし、実際にありったけの暗い将来を思い描いては自分を追いこんでいたので、「えっ、施設にはいれるのか?」と知ったときには、拍子抜けしたほどだった。

 2年経つのに、いまだに思い出す。何かのはずみに、まるで昨日のことのように、よみがえる。たとえば、自分の家の中だというのに、義母の就寝後に物音をできるだけ立てないようにして過ごしたこと。年寄りは寝るのが早いため、夜の9時ころから深夜まで、やっと自分の時間が持てたことにほっとしつつも音を控えた。「何かの拍子に起こしてしまったらたいへんだから」と、音をできるだけ立てずにパソコンのキーをたたき、トイレに行くにも、びくびくしていた。

 義母がいた最後の数年は、仮に徘徊しようにも足腰が弱っていたからその点は安心だったが、時間を問わずわめいたり、意味不明な行動をとったり、家の中なのに混乱して床に寝たりと、さまざまなことをしたが、一番わたしたちにこたえたのは、頻繁な粗相だった。
 紙パンツのほかに、布団にねんのため紙シーツ(体の大きさくらいの1枚で、尿に対応する紙製品)を敷いていても、混乱してあちこち動き回ったあげくにそれが敷いてある「以外の場所」に座っては、そのまま寝転んでしまい、まもなく布団に尿が直撃ということも、けっこうあった。

 2年経って、やっと少しずつ「いないんだ」と実感がともなうようになってきた。いまだに、会話にも毎日のように出る。今後はその頻度が下がるかどうかはわからない。いちおう義母は存命ではあるが、新型コロナで面会を遠慮しているため、数ヶ月前に顔を見たきりだ。

 強烈な8年間だった。

 施設にはいれるらしい可能性が見えてきた2019年の前半から、少しずつ何かをやろうと、わたしは気分を変えるようなことを考えては実行してきたが、それ以前から好きだったバウムクーヘンでの集まりを企画したものの(定期的に集まる「バウムの会」)去年からはコロナ禍で集まりが難しくなった。
 バウムクーヘンの集まりが難しいなら、ではあれをやってみよう、これをやってみようと、どうすれば達成感がある何かに出会えるのかと、意地でも何かをやって楽しんでやると、そんなふうにずっと考えていたのかもしれない。

 そうやって、自分を追いこむような考え方をしてしまいがちなのが、わたしのよくないところなのかもしれない。

 だが、ちょっとひと息ついてみて。

 何をしようか、やるべきことを考えようと思うだけ、自分には気持ちに余裕があるのだという風に考えれば、いいのかもしれない。あまりそれ以上は深く考えず、何かやってみる、できることをやってみると考えれば、それでいいのではと思うことにした。

 自分で自分を、追いこまなくていい。気楽に過ごしていいんだと、自分に言いきかせる。

クロネコ営業所の送り状発送システム

 これまでは月に1回以上の荷物を出していたのですっかり慣れていたつもりの、クロネコ営業所のタブレット操作。
 ところが最近あまり知人らと荷物のやりとりがなく、気づけば3ヶ月以上も出かけていなかったようで、操作が変わっていた。

 以前は、カードをあててログインすると「LINEやネット上から予約してあったものを印刷しますか」といったメニューがあった。いつもそれを選んでいた。だが今回は

 ○ 会員用: 最初から作成する
 ○ 二次元コード

 このふたつしか見あたらない。二次元コードが苦手なので(タブレットに向けてQRを示してすんなり通ったことがない)、最初は会員としてログインしてみたが、やはりいままでのようなメニューはなく、最初の画面にもどって、二次元コードを選ぶと、カメラにQRを読ませるか予約番号を入れろという。予約番号を入れればいいのかと、スマホにあった番号を入れると、暗証番号を入れろというが、そんなものを設定した記憶がないので、やはりQRコードを読ませるしかないらしい。

 予感した通り、うまく画面に向かって当てられない。

 仕方ないので係の人に「QRがうまく当たらなくて…」というと、「コツがあるので、このあたりから向けてもらって〜」と教えてもらっているあいだに、スマホの画面が省エネで暗くなったりQRを閉じてしまったり。
 「じゃあわたしがこっちを持っていますから、こっちを向けて〜」といった具合で、手伝っていただき、3回目くらいにうまくいった。

 だが、次回からは、慣れるしかない。

 ああ、それから、6月末までのキャンペーンということで、スタンプを押してもらった。スタンプは1回1個だが、送り状を電子で発行すると1個余分に押してもらえるのだそうで、9個で猫のマスコットがもらえる。あと1ヶ月半で4回の荷物をだすかどうかは微妙だが、そのうちまたバウムクーヘンがらみで荷物をやりとりすると思うので、もしかしたら溜まるかもしれない。

ひさびさにSSIを使った

 ずっとWordPressや各種CMSで「ネット上で更新する」という行為に慣れてきたので、その存在を頭の隅に追いやってしまったが、このところ新しい企画のため、ご案内やら見本ページのためHTMLをたくさん書いているうちに、これから数が増えてきたら、更新がたいへんになるだろうなと、漠然と感じた。

 そのとき、思い出した。今後のちょっとした更新は、隅にSSIのコードを入れておいて、一度にやればいいんだ、と。

 幸いなことに.htaccessの書き方もコードの挟み方も、以前に使っていた10年くらい前とほとんど変わっていないようだ。学び直しするほどの苦労もなさそうなので、しばらくは活用してみようと思う。

そういえばFacebook主導の通貨

 リブラという名前で仮想通貨を発行すると予定されていたFacebookだが、つい最近のニュースによれば、Diemという名前になったらしい。
 だが、わたしが以前に想像していた「Facebook内でちょっとした用途のカネを投げ合う」的なものではなく、おそらくもっと大々的なものなのになるのだろう。

 Bitcoinもそうだったが、最初の最初、その後の価値が見通せない段階で通貨を入手した人は、もしかしたら大金持ちなのか、あるいは初期のころに手放してしまったのか——そんな、考えても仕方ないことを、あれこれ考えてしまう。

 ネット上で仲間内の銭投げツールとして使える程度ならば参加したいが、大がかりなものであれば、おそらく手は出さないかと思う。日本国内ならPayPayで送金ができるが、外国が相手だとそれも難しいので、財布代わりにできるようなサービスが何か登場してくれるとよいとは思うが。

 さて、もうひとつ。いつ実現するかはわからないが、ずっと楽しみにしているのが、Apple Cardだ。Apple Payではなくて、名前が書いてある程度のクレジットカード。アメリカでは1年以上前から使っている人がいるらしい。
 デザインがかっこよい。本人の名前、リンゴのマーク程度で、あとはほとんど何もないらしい。もっとも、iPhoneなどにアプリとして入れて、カードはおまけという扱いらしいが、それにしても、すばらしい。

 日本にはいってくるのが遅れているうちに、セゾンカードが「セゾンカードデジタル」とかいう、見た目が似たコンセプトのものを出してしまった。

 Apple Cardがほしい。たんに「ほしい」だけだが。

ジャパンスネークセンターの通販サイト

 知らなかった、あのジャパンスネークセンターが、通販サイトを持っていたとは → https://snakecenter.base.shop/

 群馬の藪塚にあるのだが、子供のころにおそらく1回は出かけたと思う。ただ、当時はそんなカタカナ名前だっただろうか。周囲では、「蛇センター」とか、何やら蛇がついた名前で呼んでいたような記憶がある。

 数年前に知人親子を群馬の「昆虫の森」に案内したとき、ほんとうは寄りたかったのだが、夕方までに東京にもどったほうが無難だろうと、スケジュールを考えに考えて、最後はあきらめてしまった。

 それにしても、この通販サイトのラインナップがすごい。大きな蛇をそっくりTシャツにあしらうくらいは誰でも想像がつくが、ブラックマンバの頭だけ(しかもちぎれたように見えるその形状)をデザインした、Tシャツやバッグが。

 きっと、好きな人にはたまらないのだろうなぁ。
 わたしは普通サイズの普通の蛇は好きだが…あの頭のデザインには、恐れいった。

Instagramのフィードを貼りたい人へ

 昨日の記事にも追記したが、英語のサービスで無料のものを見つけたので、そのうちひとつをご紹介する。

 ○ Instagramについては、貼りつけられるのは、自分のタイムラインか、ハッシュタグ。
 ○ 無料版は、1日1回の更新なので、載せたものをすぐウェブにも表示させたいという人には不向き。
 ○ WordPressならばプラグインがあるので、それらを使えば楽らしい。このサービスは不要。

 サイトは、こちら → juicer.io

 まず、アカウントを作る。SNS経由でも、メールアドレス登録でも、お好きな方法で。

juicer.io 登録画面

 アカウントをとると、メールで「本人に間違いないですか」という確認がくるので、クリック。
 そのあとは「どのプラットフォームを使いたいですか」と尋ねられる。参考画面はたまたまキャプチャしたものなので、実際にはもうちょっと選べる(Vimeoとか、Pinterestなどを入れて10くらい)。ただ、選べる候補が多くても、無料の人はふたつまでしか利用できない。
 今回は迷わずInstagram Usernameを選択。

juicer.io 設定できるメディア

 このとき気をつけないといけないのは、そのjuicer.ioにログインしているブラウザが普段からログインしているInstagramアカウントに反応し「このアカウントですね」と、候補を出してくること。ほかにもアカウントがある場合は、いったんそのブラウザではInstagramからログアウトしておいて、好みのアカウントでログインし直しておく。
(翌日追加: パソコンのブラウザ上からInstagramのアカウントを切り替える件については、姉妹サイト → mikimarcheにも記載)

 もし、普段はスマホ上の切替メニューで使っているなどの理由で、メインアカウントと別アカウントにそれぞれのパスワードがない場合は、別アカウントを見ているときのスマホ画面で、パスワード設定というメニューを選び、そのアカウント専用のパスワードを作成しておく。
 そこまでできたら、juicer.ioを見ているブラウザ(Instagramを設定しようとしているブラウザ)において、そのInstagramアカウントでログインしておく。

 するとInstagram Usernameを設定しようとしたときに、ブラウザでログインしているアカウントを見たjuicer.ioのほうから「これこれのアカウントですね」と聞いてくるので、続行。

 タイルのように写真だけ貼りつけるのが好みか、くるくるまわっていくウィジェットのようなものがよいかを、設定画面で選び…
 juicer.io 設定画面
 embedのメニューからHTMLコードをコピーしてきて、好きなウェブサイトに貼りつける、それで終了。

 ただ、これはどこででも動くかというと、場所によっては、そうでもない。スクリプトを貼りつけても動いてくれるレンタルサーバなどで可能。
 

Instagramのフィード

 TwitterもFacebookも、公式にフィード貼り付けをサポートしている。利用者はウェブページのサイドバーなどに提供されたフィードを貼って、飾りのように使うことができる。

 だがInstagramは、そうではない。どうも1年くらい前までは簡単な方法で実現できたらしいのだが、その後、手続きが煩雑化したと聞く。一般利用者は技を駆使してどうにか利用するか、サービス提供業者に安価(または高価)でフィードを加工してもらって貼るか、あるいは自分が利用しているブログやホームページサービスがInstagram対応のプラグインを提供しているかどうか確認するというのが、考えられる大まかな流れらしい。

 わたしはまず、自力でできるのかできないのかを実験してみようとして、途中で止まってしまっている。WordPress(このブログを書いているシステム)ではプラグインが対応しているようなので、このブログに自分のInstagramフィードを貼るのであれば何も問題はないのだが、自分で書いたHTMLファイル上で使うことができるのかどうかが知りたかった。だが、いろいろあって、今日は時間切れ。

 何がどういろいろあったかというと、同じようなことについてやり方を紹介してくださっているブログさんたちのキャプチャした画面と、実際にわたしが先ほどから見ていた画面が、日付の差はせいぜい数ヶ月のものであるだろうに、かなり異なっていた。見くらべているうちに、頭が混乱しそうになったのだ。

 やろうとしたことと、実際にやったことは、以下の通り。
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1) まず、Instagramアカウントを「プロ」というものに切り替える
これはInstagramの設定画面から簡単にできた。別に料金を取られるようなものでもなかった。

2) Facebookページのほうで開発者メニューからInstagramを呼び出すAPIを準備する
 このAPIは、説明してくれているブログさんらによれば、Facebookページを空でもいいのでひとつ作成しておかないと、開発者メニューが使えないように書いているものが多かったが、最近になって方針が変わったのか、これは作らなくてもできそうに感じた。

(もっとも、わたしは以前に開発者メニューを使っていたし、Facebookページも持っているので、そうしなくてよさそうに感じただけかもしれない)

3a) ここで、Instagram用のAPI作成をしようとしたが、参考にしていた画面と実際がまったく異なっていて頭が混乱したので、いったんこれをあきらめた。

3b) だがせっかくなのでFacebookページとInstagramのプロアカウント(どちらもバウムクーヘンがらみで似た内容)を、正式にリンクさせておくことにした。これは何週間か前にFacebookが「Instagramとページをリンクさせましょう」と、何度も何度も表示させてきたもので、まあ、ついでだからいいか、と。

3c) そのとき、InstagramのプロアカウントとFacebookページをリンクさせられるのは、ビジネスマネージャーを使った場合のみ(大意)という表示が出た。わたしはたまたま、以前にFacebookページを日本語と外国語でそれぞれ書けるメニューを探していたときに、ビジネスマネージャというものに迷いこんだことがあり、使っていないのに設定を少しやりかけてあったので、それをそのまま使うことにした。

3d) すると、使う気がなかったのに中途半端に入力して放置してあったビジネスマネージャのアカウントが、Facebookページ「バウムの書」の正式な管理者となり、それまでのわたし個人アカウントが雇われマネージャのような隅に追いやられ、しかもその個人アカウント表示が現在の自分とリンクされていないし、名前などの表示もおかしい。そしてこれまでの記事を書いてきたメンバーとして表示されている部分にカーソルをあてると、プロフィールが空っぽの人間になっていて、なんだか気分も暗くなってくる。

 だが表示がおかしいだけで自分が編集権限を奪われたわけでもないし、一般人側からは変化はなくてわたし個人の管理インターフェイス上の問題であり、放置してもいいのかなと思ったのだが…

3e) けっきょく、放置する気分になれなかった。
 本来は上記の 2) でAPIを作りかった。そのあとは、どうやって加工したらそれをウェブに貼れるかに進みたかったのだが、実際には、こうして余分な 3e) の作業まで、きてしまった。

 ビジネスマネージャのメニューを隅から隅まで見てまわり、ようやく従来の管理者(わたし)の氏名編集とメルアド再確認までこぎ着けたが、過去の投稿で「これを書いた人」の欄は、やはりわたしではなく、プロフィールが空っぽの人間である。
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 ここまでやってみて、得た物はけっきょくわずかだ。無駄なことしたかも感が、ひしひしと。
 Facebookページの管理画面側にビジネス関係のメニューオプションがずらりと増えてしまったことだけが変化で、ほかは何も変わっていない状態である。ビジネスマネージャを使用せずに、Instagramのプロアカウントとの連携を切ってしまったとしても、いまならまだ実害がないのだが、また必要を感じたときにこの作業をするのも面倒そうで、さてどうしたものやら。

 もっと簡単な方法でInstagramのフィード埋め込みを実現できたらいいのだが、Facebook(Instagramの親会社)も、その方向には行かないだろう。ある意味で、あれはカネを生む、あるいはカネを動かす。自由度を高くすれば、トラブルが増えるばかりでビジネスチャンスが減る。

 写真は人目を引くものだ。写真だらけのものをウェブページに貼れたら、華やかな見た目となるだろう。そしてまた、利用法を簡単にした場合、本人が自分のアカウント分をウェブに貼るだけとは限らない。人気アカウントのフィードをたくさんページに埋め込んで、それ以外のスペースに置いた広告で稼ごうとする人も、出てくるかもしれない。

 いずれにせよ、自分の書いたHTMLページにInstagramが埋め込めるのかどうかは、もう少し考えてみる。何か方法があるかもしれない。

翌日追記:
 どうも今回の作業、まったく無駄ではなかったようだ。新規オープン予定サイトに、月200回まで表示無料のサービスを貼りつけてみたのだが、その際にInstagramのプロアカウントと、Facebookのビジネスアカウントが必要だった。やっておいてよかった。

さらに半日後、追記:
 別のサービス(回数制限なし)では、本人がログインできるアカウント(つまり他人のフィードは貼れない)ならば、Instagramのタイムラインを貼れた。
 ただ、そのサービスでは、ハッシュタグには対応していたようなので、自分のものにこだわらなければ、利用価値は高そうだった。

すべての言葉は、辞書にない

 角川映画「復活の日」(1980年)で有名になった曲、ジャニス・イアンのYou Are Loveに、当時のわたしが「辞書にないなぁ」と悩んだ単語があった。

 それは Why the line? だ。

 曲の出だしから What’s the time? Where’s the place? Why the line? … という具合につづいていく。

 意味としては直感で「いつ、どこで、どういったわけで…」と歌っているのだとわかったが、そんなlineの使い方を知らなかった。そして中高生が持っていたレベルの英和辞書では、当時のわたしの疑問に答えてくれなかった。

 のちに、英英辞書(現在ならネットで用例を無料検索できる)で項目を目にして、やはり直感は正しかったのだと理解できた。筋道、方向性などの意味でlineが使われていたのだと。

 そして次は、oldだ。

 東京に出てきてまもなく、英語のビデオを見ながら会話を学ぶ授業でのことだった。

 田舎から都会に住む姉を訪ねてきた世間知らずの少年が、姉と待ち合わせしているあいだに話しかけてきた見知らぬ中年男性と、親しくなってしまう。やってきた姉は驚いて、弟をそれとなく引き離すようにしつつその男性と会話するのだが、その人物は笑顔で「いつものようにここに来たら目の前に old Tommy (少年の名前はTommy)がいたものだから」と、語る。話し相手になってくれたことに姉は例を言って、弟を連れて歩き出し、知らない人には注意しなさいと告げる。

 そう、この old だが、直感では「馴染みの○○くん」のようなときに old を使うのだろうと考えた。会ってまもなくの自分の弟に、気さくにoldをつけて表現するような男性に、姉は警戒せずにいられなかったのだろう、と。

 ところがこの old が、またもや、辞書になかった。
 当時のわたしは中高生用よりはよい辞書を持っていたが、それでも載っていなかった。

 これものちに、英英辞書や外国の文章を検索して確信できたのだが、あのころのストレスといったら、なかった。こんな簡単な単語、意味は広くサクッと載せとけよ〜という無茶振りである。些細なものまですべて収録できないご苦労は、もちろんいまでは理解しているが、当時は辞書に物足りずにいた。

 だがそのoldに関しては、ちょっと不思議なことがあった。20人くらいで同時に動画を見ていて、教師はアメリカ人女性(幼少時からときどき日本に滞在して日本語も少しできる)だったが、誰ひとりその女性に「oldってなに」と、声に出して聞かなかった。わたしも「直感でわかっているから、わざわざ口にしないのかな」と、声に出さずにいた。

 こういうところで黙ってしまうのはなぜなのかわからないが、なんとなく「わざわざ聞かなくても、いっか〜。」と思ってしまったのだろう。結果としてその後しばらく、頭の中にくすぶってしまったのだが。

 そこで聞いておけばよかったという考え方も、あるかもしれない。だが時を経てわかった経験で考えれば、命に関わるようなことでもないのならば、ふさわしい時期がくるころ自分で調べるか、結論がわかる日が来るから、それでいいのではという気もしている。

 

ネタがないので、恥をさらしてみる

 今日は書くネタがあるような、ないような。いろいろなことがあったといえばあったのだが、とりたてて書くほどのことでもないかと迷ううち、いったい何を書いたらいいのやらということに。

 そこで、おバカ話を書くことにする。

 昨日の午後だったと思う。近所に出かけるため、着替えをして、靴下を履き替えて…と思ったら、目の前に用意したはずの靴下が、片方ない。左足の分はもう身につけてしまったが、右の分がない。「たったいまここに出したのに、目の前にあったはずなのに」とキョロキョロしていると、家族が一緒に探そうとしてくれた。

 そのとき「今日は冬用をやめて春用の薄い靴下にしたから、万が一、2枚重ねで履いたとしても違和感がないかも」と、おそるおそる左足に触れると、2枚ともそこにあった。これでは見つかるわけがない。

 まじで、呆けたか!?
 だいじょうぶなのか、わたしは。

 いつもなら「ネットでネタにする?」と尋ねてくる家族が、半分真顔でこちらを見ている。やばい、これはあきれられているに違いない。

 疲れていたことにするが、もし呆けに進みつつあるとしても、とりあえず、まだパソコンは使えている。