実はショックなことがあった

 もう、そろそろ1週間くらいになるだろうか。気持ちが落ちこんでしまったことがある。まだときどき思い出す。だが検索してみたらこの夏くらいから同じ思いをしている人はいるようで、わたしも「自分だけではない」と思うことにした。

 数年前から写真を掲載している「写真AC」だが、この1年くらいは本人確認書類の提出が必須へと変化したり、掲載画像も著作権などで問題がないかどうか関係者が見てから公開されるようになったりと、さまざまな変化があった。で、ついに、これである。

 

 この数年あまり体調のよくない田舎の親が、わたしが頻繁に荷物を送るのでお礼にと、自作の料理を送ってくれた。そのうちのひとつを、思い出に撮影しておきたくなった。正直なところ、料理そのものとしてはきれいなものではない。それはいったん親が冷凍しておいたものを宅配便にして、受けとったわたしが解凍しての撮影ということも大きいだろう。だが、見栄えはいまひとつであっても、撮影の際に明るさや色合いなどは、気を遣ったつもりだし、もちろんけっしてピンボケではない——だがこの右端の、グサッとくるコメント。

 もう少し、書きようはないのか?
 わたしはいつもこのくらいのトリミングで画像を載せているし、被写体をアップでわざと隅まで載せないことも多い。使っている布も食器もいつもと大差ないし、ほんとうに「たいして美味そうに見えない」という点で、落とされたような気がしてならないのだ。

 写真として美味そうでないものを載せるなという方針は、少なくとも去年までの写真ACには、なかった。実際のところ「なんで角度がちょっと違うような写真を5枚も10枚もアップロードする人がいるのだ」と、なんでも通過させてしまう写真ACにいらついたこともあるほど、審査はゆるかった。そして最近になって審査がはいるようになったのは、著作権侵害やプライバシーが映りこんでいないかどうかなどのチェックと聞いていて、写真の質がどうのということまで含まれるというアナウンスはなかった。わたしは今日になって検索してみるまで、ショックを受けているのは自分だけなのだろうかと、落ちこみそうになっては、どうにかこらえていた。

 親が作ってくれた菊のおひたしを写真に残しておきたいと思った気持ちと、どうせなら写真ACに載せようと思ったこと、それが(この夏以前であれば落とされなかった基準の強化で)門前払いになったことに、なにやら落ち着かない。

 少なくとも、このメッセージは、もう少しなんとかしてもらいたいものだ。
 これまでにすでに掲載しているものも、今後このメッセージ付きで削除されていくことがあるとしたら、神経がそれに耐えられるかどうか不安。

手の親指(腹部分)に鉛筆の芯が刺さっていた人

 子供のころのことだが、少なくともふたり、同級生で指の腹部分に鉛筆の芯が刺さったまま皮膚が閉じてしまっている子がいた。
 本人らの説明によれば、どうも遊んでいたはずみに指の腹に鉛筆が刺さって、まずは大人に怪我をしたと告げた。大人は血止めをして包帯をぐるぐる巻きにしてくれたが、ようやく怪我が治ったころになって、本人や周囲が、皮膚の下に黒いものがあることに気づいた。だがいまさら医者に出かけて閉じた皮膚を切り直ししてもらうのは嫌だという本人の拒絶(…あるいは保護者がいまさら面倒だと後まわしにして医者に診せなかった…?)ゆえに放置した、ということらしい。指を実際に見せてもらったが、ほんとうに皮膚の下に鉛筆の芯があった。ある友達などは長めの芯ひとつと、割れた破片がひとつ見えた。

 だが何十年か経ち、今日になってみて「そんなアホな話があるのだろうか、わたしの記憶違いか?」と、気になって検索してみることに。
 結論から言うと、そういう話は山ほど見つかった。へぇ〜。
 たとえばこちら → 2016.11.16 デイリーポータルZ 体内に30年埋まっていた鉛筆の芯を取り除く

 ほかにも質問掲示板で「鉛筆の芯がはいったままですが、大丈夫でしょうか」の投稿も、苦労せず見つけられた。けっこう事例としてはあるものなのか、ふむふむ。

 わたしの同級生たち、たしかどちらも女児だったと思うが、その後どうしたものだろうか。切るにせよ、痛かっただろうなぁ。

 最近の若い世代は鉛筆より芯が細いシャーペンを使うことが多いのだろうし、指にシャーペンの芯がはいったままだったら、医者も切開してつまんで取り出すのが鉛筆より面倒ではないかと思われる。自分がやれと言われたわけでもない一般人だが、その医者の気分を想像してみると、なにやら面倒くさそうだ。だがいちおう切開だから医療報酬も点数がつくし、まあいいのかと余計なことまで連想してしまう。

 刺さらないように気をつけるのが、いちばんよいだろう。書くまでもないが。

ゲートボールは、競技名では「リレーション」(!?)

先ほどどこかで「ゲートボールをリレーションと呼ぶらしい」と聞いて、検索してみたところ、ざっくり書けば、ゲートボールという名前に老人ぽさがしみついてしまったので、2人または3人での競技では「リレーション」を正式名称とする…と、どこかで決まったらしい。(参考:Wikipedia: ゲートボール

 実際に、岩手県のサイトで2016年の岩手国体を紹介したページに、リレーション3の紹介が見つかった → http://www5.pref.iwate.jp/~hp0671/kokutai_game/relation_3/

 いくつか、スポーツイベントなどのサイトで、同じような表記が発見された。まったく知らなかった。
 新たな疑問として…リレーション3、リレーション2というのは、そもそも読みは「スリー」で「ツー」なのか? または「トリプル」で「ダブル」なのか? わたし個人はそれすらも聞いたことがない。正式なのかどうかはわからないが、読みをスリーやツーと書いているサイトがいくつかあるようだ。

 いかにわたしがスポーツに縁のない暮らしをしているかという話ではあるが、それにしても驚いた。だいたい「リレーション」がどこから出てきたのかも、ゲートボールにどう関係があるのかも、よくわからずにいる。競技用の言葉なのだろうし、日常生活には定着しなくても、いいのかもしれないが。

「ねえ、ぴよちゃん」という4コマ漫画

 かならず毎日というわけではないが、新聞の社会面にある「ねえ、ぴよちゃん」を見ている。この10月には、コミックが出るそうだ。

 公式サイトの人物紹介などには記載されていないが、個人的に神社の宮司が好きだ。ぴよちゃんのところの猫「又吉」の子分でハチというのがいて、そのハチがねぐらにしている神社の床下をチェックしては、親切にしてあげようとする設定の宮司。だが無愛想で人相がいまひとつのせいか、ハチには勝手に悪い人間だと思われている。ダンボールを変えてあげようとすれば取り上げるのかと疑われ、蚊取り線香を焚いてあげようとすれば燻りだすつもりかと抵抗される。それでも宮司は世話を焼く。なかなかよいキャラである。

奈良県に、愛書家が集う無人書店ができたそうだ

 asahi.comの記事 2018.09.13 無人でキャッシュレスの書店、電子キーで扉を開けると…に興味を引かれ、奈良県にできたというその書店のサイトを見にいってみた。

 Naramachi Bookspace ふうせんかずら 無人&キャッシュレス書店

 会員登録をすると入店に必要なIDが送られてくるので、それをドアのところで入力するシステムらしい。それぞれの書棚を担当する出店者が集めた本(古本を含む)を見ながら、気に入ればタブレットで、電子マネー支払いで購入。

 これは、ぜひ東京にもできてほしい!!
 神保町の古本屋街でも、こういうシステムを採り入れてみたらどうだろう。できればJR中央線に、ほしいところだ。

あれは、いつのことだっただろう

 とても不思議な体験をした。しばらく忘れていたのだが、このところ頻繁に思い出す。せめていつのことだったかだけでも思い出せればと思うが、自分のブログには書かなかった可能性があり、このブログを含む自サイトの過去ログで全文検索に引っかからない。

 こういうことが、あった。現在の家でのことなので、2007年以降のことだろうとは思う。

 夜に食器を洗っていた。目の前に2段の洗いかごがあり、大きさなどに合わせて洗った食器を上下どちらかの段に載せては、洗いつづけた。
 そのとき、上下どちらの段からかはわからないのだが、洗いかごの左手側(端ぎりぎり)から、ざくざくしたガラスが大量に落ちてきて、足もとにばらまかれた。跡形がないほどに割れたが破片から判断すると厚みと装飾のあるガラスで、花瓶のようなものを連想させたが、それほど厚みがあるなら粉々になることは不思議に思われた。

 そういった花瓶は家にあったが、そのときは使っていなかった。そしてその後しばらくして、わたしはその花瓶を思い出して奥から出し、使うようになった。いまも家にある。

 いくら考え事をしていたにせよ、自分が洗った直後もしくは食器をおいたことによりそこから落ちたのであろう大きめのガラス製品に、まったく記憶がないことが解せなかった。さらに、それは何かにぶつかって粉々になったというより、落ちている最中から、まるで壊れていたかのような印象だった。わたしは「あ、何かが落ちてくる」と身構えた記憶があるのだが、その段階ですでに、何なのか認識できないままだった。落ちるまでがあっというまのことで、目と頭の連携がうまくいかなかったのかもしれないが。

 そのとき…こんなことを書くと電波系と思われてしまうかもしれないが…それが「どこかから来たガラス」のような気がした。いつか将来ここで洗い物をしているときに、大きなガラス製品がひとつなくなることがあって、それがあのガラスなのではと、考えることがある。

 このところ、洗い物をしていると、よくこれを思い出すようになった。

運送会社で荷物の松茸がなくなったら

 半月前のニュース記事だが、複数の上司から二日にわたって貸し会議室で長時間責められたヤマト運輸社員(米沢市内の営業所)が、昨年秋に飛び降り自殺をしたそうである。

 2018.08.31 河北新報 「荷物のマツタケ盗んだと疑われ夫が自殺」ヤマト運輸を社員の妻が提訴

 思うのだが、やったかやらないかを尋ねるのに、二日はかからない。時間がもったいない上に、容疑を本人が否認していた場合には「証拠がないならそこで話は終わるしかない」はずだ。

 つまり、この男性が二日間にわたって何を言われていたかというと(ここは想像がはいってしまうのだが)、盗んだかどうかではないかもしれない。会社側としては、見つけることができない松茸を、あ〜誰かが責任をとらなければ格好がつかないなぁ、どうしよう、紛失の責任は誰がとるのかなぁ〜と、何回もまわりくどく、あの手この手で話しかけ、退職してもらおうとした可能性も、あるのではないだろうか。

 ひとまずお客側には「真相をきちんと調べますが、申し訳ありませんでした」と謝っておき、そのあとで犯人が内部なのか外部なのか、あるいは過失または事故によるものかを調べればよいし、その作業をすべて社内の人間が密室でやることはない。損害には保険会社もからんでくるだろうから社外的な力を借りることもできるし、警察を入れてしまってもよいと思う。まあ、できるだけ隠そうとして社内でなんとかしようという風土は、ヤマト運輸でなくてもよくある話かもしれないが。

 それにしても、松茸で人が死ぬとは、なんともやりきれない。

ドラマ「ブリッジ」season 4 終了

 ドラマ「ブリッジ」が終了した。スウェーデンのマルメ県警に所属する「サーガ・ノレーン」が、橋を挟んで向かい側のデンマーク警察と一緒に事件を解決するシリーズの4作目にして最終章である。

 この第4シーズンに関するネタバレはしないが、多少はこれまでのことを書かせていただくと、どのシーズンも見終わったときの印象がどんよりと暗かった。シーズン1ではある人物の子供が死んでしまうし、2作目ではまさかの誰かさんが人を殺すし、3作目ではサーガの実の母親が登場、捨て身で娘(サーガ)を攻撃。あまりの展開にびっくり仰天であった。

 4作目は、その母親の置き土産のせいで苦しんだサーガが、ある意味で社会復帰をしてデンマークに捜査協力するところからはじまる。

 いままでのシーズンを合わせたほど暗い終わり方かと思ったら、そうでもなかった。これは見ていて救われた。最初のころの数話は「これとこれがどうつながっていくのか」と思うような内容だったが、後半では一気に収束。とくに最終話の残り25分になってからは、ああ、そこまで伏線を回収するのかと、感心した。

 ただ、犯人…あれはちょっと、途中で出てきた若いころの写真(ちらっと出たはず)と、最後のほうで、ある人物がその人だったとわかったときとで、まるっきり別人ではないか…? 数年で、ああ見た目が変わるはずがない。これはちょっと、再放送ででも写真のシーンを再確認したいところだ。写真はあったと思う、見た記憶があるのだ…。う〜む?

 いずれにせよ、暗くない終わり方をありがとう。
 

夏目雅子さんが存命なら今年で60歳

 子供のころ、夏目雅子が演じた三蔵法師で、「西遊記」のおもしろさを再発見した。そしてテレビCMでたびたび流れていた「なめたらあかんぜよ」(映画「鬼龍院花子の生涯」での台詞)は、一世を風靡した。

 お亡くなりになって33年という。
 

 
 そして、夏目雅子の兄と結婚した田中好子。女優業のかたわら、夏目雅子のこともあって、抗がん剤で苦しむ人のために人毛を利用した医療用かつら推進に貢献した。「髪の毛の寄付を」と呼びかけていたご自身もまた、皮肉なことにがんで2011年に帰らぬ人となった。なんとも残念だった。

 ふたりとも、大好きな女優だった。

国籍にしばられない「地球人」が増えてほしい

 かつてジュニア時代は日米の国籍を持っていたフィギュアスケートの長洲未来選手も、21歳をすぎてアメリカ国籍を選んだと聞く。今日はテニスの大坂なおみ選手(出場の国としては日本だが日米の国籍を持つ)が、全米オープンで優勝という話題で持ちきりだったが、大坂選手はお姉さんがすでにアメリカ国籍を選択しているらしいので、21歳になればおそらくそちらを選ぶのだろうかと、推測する。

 日本は国籍に厳しすぎる。家族から受け継いだ文化や言語を、胸を張って後世に引き継いでいきたいと考える人がいたら、本音は「どちらの国籍も捨てたくない」はずだ。まして日本以外では複数の国籍を容認している場合があり、そうなると「捨てるならば日本国籍」ということに、つながりやすくなるような気がする。

 二重、三重に文化を受け継いでいる人がいれば、そしてそういう人が増えれば、世の中がもう少し多様化して、丸くなっていくのではないかと考えている。地域や国、人種でものを考えず地球単位でものを見られる人が増えたら、すばらしい。
 もっとも、それはあくまで理想であって、実際問題としてそうは思わない人も、いるのかもしれないが。