朝から中央線ダイヤに乱れ

 朝の9時に家を出て、高円寺駅まで。中野駅の近くに用事があったためだが、到着したときに「改札をSuica等を利用した人は、そのまま改札を無料で抜けられます」とアナウンス。どうも大きな遅れが出ているらしい。
 中央線快速は完全に止まっている気配だったので各駅停車のホームを見ると、もう、ホームに人が多すぎて安全に立てる気がせず、そのまま回れ右で改札を抜けて、中野まで歩くことにした。

 どうも人身事故だったようなのだが、あのまま待っていたとしても、ホームの混雑具合を思い出すだに無事に乗車できたような気がしない。歩く決心をして正解だった。
 時間はかかったが、無事に中野駅に到着。その後はいつもの通院先へ。

 待合室がけっこう混んでいたが、看護師さんや待合の人たちの雰囲気から、ただ事ではなさそうな待ち時間というのが伝わってきた。午前10時の予約といえど11時ころまで待つのはいつものことなのだが、それくらいで済むとは思えなかったほか、残り人数(待っている人数)の情報がよくつかめないし、いつものような常連なりの予測ができない。
 中野駅近くに別の用事のため来ていた家族と診察後に待ち合わせる予定だったが、まったく予想ができないので帰ってもらった。そして12時15分ころに診察、12時30分ころに会計が終わり、病院を出た。

 12月だから混んでいるというのはあっただろうが、去年くらいまで新型コロナの影響で受診しない人が多かった区民検診など各種の健康診断で、利用者が増えていた可能性がある。担当医は、わたしの入室と同時に「自分の患者のうちほかの医師に回せる人がいたら回ってもらった、それでもこんな時間になってしまってすみません」と詫びたが、ほかの医師に回されるのが自分でなくてほっとしたので(担当医はわたしの持病に関しては院内でトップ)、ひとまず笑顔で応対しておいた。

 病院を出て、いつもならその後に中野駅界隈で買い物をして帰るのだが、そのあたりを家族がすでに歩いてから帰宅したことは予測できたので、とくに何も買わずに帰宅。
 朝のうちに1日分くらい歩いたので、帰宅後は足が痙攣しそうだった。実際、少しつった。

 それにしても、JR線で朝のうちに人身事故というのは、過密ダイヤを考えるとほんとうに気が滅入る。高円寺に到着する以前からわかっていれば手前の大通りでバスを利用することもできたし、歩いた場合であっても高架線沿いの何もない路地を歩くより楽しい場所が選べたのだが、突然にそういうことになったので、仕方がない。

 ちなみに、持病とは関係なく「立ち上がったときにめまいがあるので、貧血かもしれない」と言ってみると、わたしの血液は数年前とは違って人に血をやれるほどのレベルでヘモグロビンが安定しているという。立ち上がったときのめまいは屹立性のもので(うろ覚えだが起立性調節障害と言っていた気がする)、立ち上がる動作をゆっくりにしたり、急に頭を上下に動かさないことで軽減されるという。また、朝や午前にめまいが感じられる場合は夜間に軽い脱水症状になっている場合もあるので、水分はしっかりと摂るようにとのことだった。

弁当の比率が高まっている

 11月中旬の盛岡1泊のころからとくに、あれこれと外出する用事が増えている。これまでは昼食用に弁当を購入することは週に1〜2回あるかないかだったのだが、このところ1日おきのようになったり、週によっては何日も連続してしまうことも。

 おおむね味が濃いのだが、帰宅後に家にあるものを温めて食べるにも限度があり、つい買ってしまう。そして購入が多かった週はプラスチックごみの量がかさばる。

 今日はネットスーパーの弁当。自分たちが外出帰りに買ってくる場合には、オーケー(格安スーパー)の税抜き299円弁当も常連である。

 なんとかそろそろ、弁当の比率を下げたい。加工品がつづくと、体が重いと感じることがある。

検診と、アンミラ

 近所のクリニックに、区民検診(の一部)を頼むため、出かけた。その病院と医師は、以前に義母が月に1回程度は通院していたころにお世話になっていたのだが、このところほとんど寄る機会がないままに過ごしていた。前回の検診で何を話したかまで覚えているのだが、あれが2年前とは思えないほど、最近の出来事に思える。

 認知症の義母を東京に呼んですぐ、認知症の高齢者はどんな病院に連れていけばいいのかもわからないまま、ひとまず自分たちが慣れているからという理由で義母を連れていったところ、介護保険サービスについてなど教えてくれたほか、ケアプランセンターまで紹介してもらえたという、たいへん恩義のあるクリニックなのだ。以前はちょっとした用件でもわたしはすぐ出かけて薬を処方してもらっていた。だが義母が施設にはいって以降は、ほんとうに数えるほどしか出かけていない。

 さて、わたしの検診が終わるころ家族が高円寺駅の近くを歩いていたのだが、メッセンジャーで「アンミラが買えた」と連絡が。去年も今年も12月に高円寺駅に催事で来ているアンミラだが、去年は朝のうちに何十人も並んであっというまに完売になっていたのだ。今年はそれほど混んでいないのか、午前の11時半くらいに通りかかったら2〜3人しか客が待っておらず、買えたのだという。ひさしぶりに食べたせいか、懐かしさで記憶より美味に感じた(昔は「普通に美味しい」程度だったはず)。

 昼過ぎに帰宅して今日の分の外出は終了とし、いつもなら夕方の散歩に出かける時間帯を家でのんびり過ごすことが出来た。

Facebookの「思い出」が備忘録に

 これまで何回もあったのだが、何気なく見ているFacebookの「思い出」(過去の同じ日に自分が書いた内容の一部が表示される)で、同じような勘違いをしていることに気づいたり、「○○年前は、あれをこの時期にやったのか」と思い出したり、重宝している。

 今回は、2年前の勘違い「年末も近づいてきた時期に、検診を忘れていた」というのを見てドキリ。その検診は1年おきなので、2年前に「忘れていた」とか「予約を取るのがぎりぎりだった」と書いていたならば、今年もそうだということになる。

 ねんのために、到着したが開けてもいなかった区役所からの封筒を見たところ、今年は該当する年だった。あわてて予約の電話を入れる。一部の簡単な検査は近所のクリニックですぐやってもらえるので、これで今年も安心だ。ちなみに一般的な成人検診的な内容は通院のたびに血を採られて似たようなことをしているので、いつも申し込んでいない。

2022年版「Dr.コトー診療所」

 家族が録画しておいた映画版「Dr.コトー診療所」を見る。懐かしい。以前に出ていたメンバーがけっこう出ていて驚いた。なんと重要キャラクタの剛洋(たけひろ)を演じたのは当時子役だった同じ男性で、芸能界を引退していたのにこの作品でのみ復帰したのだという。

 ストーリーは、ちょっと無理があるというか、詰めこみすぎてよくない面があったが、なんとか無理にまとめてしまうところがさすがの長寿番組である。終盤の根性論みたいなところは勘弁してほしいと思ったが、見た後ではすっかり頭の中に中島みゆきのテーマ曲が流れて止まらないありさま。これぞ力業(ちからわざ)といったところか。

 ラストの解釈は、いくつかあると思う。だがそれを曖昧なまま人の解釈に委ねるためにも、もう続編企画は出ないことだろう。

「あまさけ」

 東京に出てきてからだいぶ田舎の言葉を忘れてしまっているが、勤めはじめてからワープロを買ってみて、あまさけ(甘酒)が変換できずに「あれ、あまざけ、のほうが標準語なのかな」と思うようになった。そのほかにも、この数十年で「これこれは、変換しづらいから、標準語の読みではなかったのか」と、考えるようになった単語がいくつもある。

 いまから思えば、自分に自信を持って自分の読み方で辞書を鍛えればよかったのだろうが、当時はそんなことは考えもせず「標準語ではなかったのか」と、そちらに合わせる癖がついてしまっていた。最近であれば気になる単語に複数の読み方があることもすぐ検索で確認できるのだが、当時はネット検索というものがいまほど一般的ではなかった。

 こうしたちょっとしたことで淘汰されてしまい、人目につきづらくなってしまう言葉というのは、意外にあるのかもしれないと考えた。

自分のMacにログインできず、あわてた件

 解決してからも手間がたいへんで、おそらく1時間前後がふっとんでしまったのが、今日のトラブル。Mac OSをアップデートしますかと言われて、はいいいですよと気軽にクリックしたところ、その直後にログインできなくなった。

 パスワードはぜったいに間違えていない。簡単すぎないが間違えるほどではない程度に記憶しているし、これまでもたまには手で入力していた。完全に電源を切ることは少ないので、スリープ解除なら指紋認証だが、それでもたまには手で入れていたのだ。間違えるはずはない。

 ところが、どうしてもログインできず。最初は「ロックされたので5分後に」と表示が出たのに、次が「15分後」。さすがにおかしいと思い、パスワードを再設定する方法を家族のパソコンや自分の別端末から検索で調べた。

 電源を切ったのちに、再度電源を入れるとき command + r を押したままにしておくとユーティリティメニューが出るとわかり、そこでパスワードの設定に進む。するとiPhoneに「この番号をMacに入れて」と6桁の数字がやってきたのでそれを入れて本人確認した。つまり、Appleにログインするパスワードと、登録してある自分の別端末(わたしの場合はiPhone)が手元にないとこれは難しい。パソコンだけしかない人がこのトラブルに遭ったらどうするのか、謎である。わたしはとりあえずパスワードを再設定できた。

 ところが問題はこのあとである。

 Macにログインして、ではAppleにもログインしてくださいと言われたのだが、今度はそのAppleへのログインがはじかれる。さすがにキーボードにホコリが詰まっているのかとか、あれこれ考えたのだが、ようやく「それならiPhoneの電話番号を入れてください」と表示が出たとき、「げっ、単純な数字すら文字化けしている、なんだこれはっ」と大あわてに。

 ……やっと謎が解けたのだが、Mac OSをアップデートしたとき、何かのはずみで英語以外の外国語(おそらくフランス語)のキーボードに切り替わったらしいのである。つまり英語のキーボードのつもりで正しいパスワードを打っていても、フランス語か何か別の言語のキーボードに切り替わっていたため、正しくないものが入力されていたということだ。
 ユーティリティメニューでAppleにログインできたりiPhoneに届いた数字を入力できたのは、そのメニューでは(ログインできていないために)諸外国語のキーボードは認識されていない状態だったからだ。そして無事にログインできてのちは、フランス語ほかスラブ系諸語のキーボードのどれかが反応して、こちらが思うのと違う文字や数字を出していた。

 画面の隅にあった文字入力の設定をクリックし英語に設定したところ、まったく問題なく利用できるように。
 最初から、これが原因だったことになる。

 そのあともまたたいへんだった。ブラウザやプラグインなどさまざまな場所がログアウト状態になっているのを、ログインしてまわる。これがほんとうに面倒で「こんなものまでログアウトされていた」と、嘆きながら作業をした。

 お読みのみなさまも、ぜひ、パスワードが通らなかったら言語設定を再確認していただければと思う。

高円寺駅から鷺宮方向へのバス(実証実験中)

 中野区が第2回の実証実験中である近隣のバスルートなのだが、住宅街を走る都合で通常のサイズのバスは難しく、10人乗りのミニバスでの運行。初回は中野区の地味な界隈だけだったので本数がそこそこあっても利用者が少なく、その反省からか、今回は1時間に1本程度ではあっても杉並区の高円寺駅もつないだルートとなっている。

 3月までなので、乗ってみたいとは思っているのだが、時間をきちんと調べてからでないと、1時間に1本というのはなかなかタイミングが合わないかもしれない。ただ今回のものは停留所に待っている人がいるのをときどき見かけるので、もしや地元で有志らが利用を呼びかけているのだろうか。実証実験であまり利用者が少ないと、今後の実現は難しいだろうが、なんとか定着してもらえたらありがたい。

100円ショップで実質的な値上げ

 100円ショップのCan★Doを見ていたら、たまに買っていた薄いポリ袋が、Mサイズ80枚、Lサイズ60枚になっていた。どちらも20枚ずつ減っている。ああ、減るときは10枚じゃないんだな、と。けっこう大胆に減るんだなぁ……と。

 ネットスーパーで買い物をすると商品1個につき1枚くらいポリ袋に保護してからレジ袋に詰めるという場合もあるが(店による)、一般家庭ではそんな贅沢な使い方はできない。わたしもパンをこねる作業の関連でポリ袋は使用するし、いったん出してバターなどを折り込んだあとのパン生地をまた冷蔵庫にもどすといったときにはポリ袋が必需品だが、これまであまり枚数などを気にしたことはなかった。

 だがこれからは、ネットスーパーで商品1個につき1枚つつんでくるようなポリ袋はすぐ捨てないようにして、調理後の魚の骨や、製パンのあとで生地にまぶした残りの粉(手打ち粉)を捨てたりするときのため、気をつけて取っておくことにしようと思う。これらは一般のゴミとして出すとゴミ箱の中でばらけたり、とんでもなく匂ったりするので、小袋に入れてから捨てた方がいいのだ。

 ああ、それにしても、一度に20枚減るというのは、かなりショックである。

血行の話

 何かをはじめると、没頭してしまうタイプである。日曜日の夕方にDuolingoのリーグが終わると、トーナメントの週であればなおさらだが、かなりの時間をiPhone片手に外国語学習に費やしているため、気づくと体のどこかが凝っている。目がしょぼしょぼすることもある。だから月曜日は疲れていることが多い。

 そしていま、月曜に限らず体が痛い。1日に何回も、気になることがあってパソコンの画面を頻繁に見ている。姿勢に無理があるのかもしれないが、くるぶしあたりの血行が悪いと思うことも。だが何かに没頭していると自分の姿勢に気づかない。

 今日も昼から夕方にかけてくるぶしに痛みがあり、湿布をすることにしたが——。若いころに、こんな状況がつづいてたった数日で、くるぶしに水が溜まってしまったことがあった。出かけた近所のクリニックで「様子見して自然に抜けるのを待ちますか、あるいは切っていったん出しますか」と言われ、出してもらったことがある。数日ほど痛かった。

 何か没頭できるものがあるだけよいのか、それともほどほどがよいのか。見極めが難しい。