日本で買えないもの

 1年くらい前からだっただろうか、アイルランドのKerrygoldという会社のバターが食べたいのだが、日本では数年前からときおり目撃情報があるものの(都内高級スーパーやカルディなどで一時的に販売)、定期的な輸入と流通をする業者は、どうやらないらしい。

 自分がもっと若かったら「いつか真冬のヨーロッパに旅行に出かけてスーツケースに大量に詰めて持って帰る」くらいなことは考えたかもしれない。だが、国内すら旅行できる日がまだ先なのだから、いったいこれが何年先の話になるのか見当もつかず。

 冷凍してあるものも多いが、バターは何種類あってもよい。Kerrygoldは、どこかの店が取り扱いをしてくれたら、次は間違いなく買う。

誤変換の話

 あるKindle本で、誤変換がひどいものに当たってしまい、すっかり読む気がなくなったのだが「目的を誤変換探しということに変更して流し読みしよう」と決意。もう少しで読み終わるが、著者本人が見直しで発見できるはずの低レベルなものも多く「本人すら見直ししていない本」の様相を呈している。

 わたしはKindle Unlimitedで定額料だからよいのだが、もし買ったら数百円の本のようだ。ただしダウンロード時にAmazonのほうで(読者らの指摘により、誤変換などが多いため)修正するよう連絡したという表示があった。そこまでAmazonに書かせる本というものはどれほどかと、見てみたら想像よりもひどかった。

 たとえばだが
 ○○さんによれば → ○○産
 渋滞に引っかかった → 重体

 さらに、同音の言葉の変換ミス多数(ただし直前直後には正しい変換のものも混じる)、妙な改行挿入、句点が2個あるなど。
 個人ブログであっても、もっと真面目に書ける人はたくさんいる。

 さて今日は、わたしが印刷して提出する寸前だった誤変換「以下の通り、誤請求いたします」を紹介して終わりにしよう。これは試し刷りするまで気づかなかった。間に合ってよかった。

 それから、音としては同じだろうと思うのだが、聞き手は漢字を判断しにくいと思われる事例が「あなたは知らないかもしれないけれどゼンニンの○○さん」という表現。——前任か、善人か、知らない人についてはその段階では判断ができない場合もある。

バナナに助けられる

 月曜日は接種の副反応で動けず、火曜日は出かけようと思っていたところ急な眠気で半日ほど寝てしまい、そしえ水曜日こそはと考えていたのに喉と鼻が怪しくなってきた。そういえば家族から「喉の調子が悪い」という話を聞かされていたので、もしや風邪がうつったのか。

 ねんのために水曜日を安静にしていたところ、木曜日…朝から喉が痛くてたまらない。トローチと、喉からくる風邪に効くという市販薬で対抗したつもりだが、気持ちに不安があり、心細く「このままずっと家から出られない病人になるのではないか」など、考えはじめる(←大げさに聞こえるかもしれないが、人間は体調をくずすと、おおむねこんな感じではないだろうか)。

 幸いなことに配達も何も予定がない日だったため、1日しっかりと横になり、ときどき手近なものを飲み食いしてすごした。
 昼までは微熱もあったが、午後遅くには、だいぶ症状が改善。

 役に立ったのは、意外にもバナナ。普段あまり食べないのだが、水曜日のネットスーパー配達にバナナを入れてみたところ、食べ頃で大きめの5本がやってきたのだ。半分食べたり、1本食べたりと、台所を通るたびに重宝した。それから以前に買い置きしていたチオビタドリンクも、2回ほどお世話に。

 木曜日の夜には頭も冴えてきた。よかった。

 ふたり暮らしの家であってもこれだけ不安があったのだから、ひとり暮らしで、しかも新型コロナと診断されている人は、どれだけおつらいだろうとの思いを新たにした。

(注: 家族はいつもの通りに食事を作ってくれようとしたのだが、わたしが普段と同じものをなかなか食べられず、それでバナナに頼ったという展開である)

耳掃除のカメラ

 もう10年くらい前だろうか。耳掃除で内部を傷つけてしまい、微量だが出血した。正確には、血は微量だったのだが、透明な液が翌日から耳を潤そうとたくさん湧き出してきた。耳の穴のすぐ近くまで出てきたものは除去したが、それ以外は耳の中で固まったようだ。

 そのころから「耳に何か詰まった気がする」と思いつつも、傷が癒えたころに耳掃除をすれば、ぜんぶまとめてとれるのだろうと放置すること2ヶ月。あまりにも重苦しいので、普段は内科などで通院している総合病院の耳鼻科に寄ったところ「あっ、固まってます。取ってみますが、痛そうなら時間をかけてやわらかくしますから、まず(器具を)入れてみます」と言うか言わないかで、赤黒い固まりを数個ほど除去してもらえた。耳の中が楽になった。

 以来、自分の耳の中を「見てみたい」という欲望にとらわれることがある。

 ガサガサと音がする気がしても、耳掃除をするほどのものかどうかをカメラで見てから綿棒を入れれば、怪我もなくて済む。ぜひ「見るだけ」見たいのだが、そういうものが売られていない。

 ネットでは「見ながら除去する」製品ばかり。つまりライトと耳かきが同じ器具で兼用になっているのだろう。
 そういうのではなく「見るだけ」というのがあればほしいのだ。

 何か検索方法を変えてみれば、細い場所を見るカメラというのは、あるのだろうか。

マグカップ、デミタスカップの「カップ」

 マグカップというカタカナをそのまま英語圏の人に言ってしまうと、驚かれるという。実際にわたしの知人が知らずにそれを使い、相手がきょとんとした現場を見てしまったこともあった。なぜ驚かれるかというと、mug には、大きなカップという意味までが含まれているのだ。

 デミタスカップ demitasse も、タスがカップで、デミが半量なので「半分量くらいの小さめカップ」である。英語で話すときにカップ部分は不要。

 また、長ネギを英語で言う場合に、いろいろな言い方があるものの、long onion (長いタマネギ)と言えばけっこう通じる。これは日本語とは逆だなと、つくづく考える。
 日本語では「ねぎ」という概念が先にあって、その前に「たま」つかなければ、普通は長ネギを意味する。例語ではonionという概念があって、上に伸びているかどうかで考えるのだろう。

副反応の話

 昨日はワクチン接種(2回目)のあと体調がかなりよく、これなら自分は発熱と無縁かと思ったのだが、そうでもなかった。

 まず、就寝前に「手と足の先が、真冬並みに冷たい」という状況。だがそれ以外の部分は普通に暑いので、足の先をタオルケットでくるむようにして寝た。腕ももちろんタオルケットの中。

 朝の4時10分ころ、足先と手の指先の冷たさはそのままに、体が発熱。水分を補って、冷凍庫から小さな保冷剤を3個ほどポリ袋に移して、首の周りに当てるようにして様子を見ることに。体中が痛いものの高熱ではなさそうだし、まあ、様子見をしようかと思ったわけだが、それからの1時間が、なかなかたいへんで。

 わたしは具合が悪かったり熱があるとき、目の前に幾何学模様の何かや、パソコンのディスプレイに規則的に並ぶアイコンのようなものが出てくるのだが、今朝は1時間ほど「地図」が出てきて、誰かが解説しつづけていた。都内の住宅街の地図なのだが、地図と衛星写真が交互に出て「どんなにきちんと撮影してあっても、それを画像処理してパソコンの画面に出すときに、正確ではなくなってしまう、無理に平面にしているわけですからね」と、声が言う。
「つまんだりして、立体感を出してみましょう」とか、「ほら、本来の形に近づいて、土地の周辺にへりが見えてきたでしょう」やら、5分やそこらなら聞いていてやってもいいが、1時間。

 嫌になったので、わたしがここぞというときのために在庫している「セデスハイG」を飲むことにした。バファリンでは効き目に時間がかかるようなとき、わたしが頼りにしているとっておきの鎮痛剤である。空きっ腹では問題かと、薬のついでに冷蔵庫にあったおやつのクリームどら焼きをひとくち食べておいた。これで万全だ。
 保冷剤ではなく、冷凍庫から新たに氷枕(市販のぷにゅぷにゅする枕)も持ってきた。

 しばらくして気持ちが落ちついたのか、昼前くらいまでうとうとしながら過ごしたのだが、昼にセデス効果が切れたらしく、また手足が猛烈に冷たい。そして体が熱い。体温は計らなかったが、汗の具合から考えておそらく37℃台の後半くらいだろう。38℃あればもっと汗は出たのではないだろうか。

 家族が昼を用意してくれたのでそれを食べ、また眠りにつく。夕方まで、ほとんど起きずに眠ったようだ。

 そのあとは、ねんのためにもう1回だけセデスハイGを飲み、おそらくこれで明日からは普通に過ごせるのではないかと想像している。

 1日を短くまとめるなら「動けない。動く気になれない。体が痛い」、その3点セットに尽きる。吐き気などはなかった。

 これ、今後も毎年やることになるんだろうか。翌日にはぜったい予定を入れられない。

ワクチン接種会場にて

 午後12時15分の予約で12時ちょうどに会場に到着したが、すべてがスムーズで、12時16分ころ接種が終わり「12時31分の表示が見えたら、説明を受けてお帰りください」と言われた。

 日曜日だったせいか、あるいは2回目接種の人ばかりだったせいか、まごついて質問する人もほとんど見あたらず。接種してもらう側も、スタッフも、みなさんさくさくと手順を進めていた。

 ところで、帰宅してから思ったのだが、スタッフについて。

 入り口、待合室、最初の受付に計8名くらい、接種会場フロアの入り口と部屋内部に計2名、接種してもらうための問診医師、注射針を実際に刺す医師がひとりずつ、それら計12名は女性だった。そのあと接種後の待機場所に5名くらいのスタッフ(このうち男性は1名だったが、もしかしたら2名だったかもしれない)、さらに15分経過後の説明をしてくれる人が3名くらいで、これは女性。

 かなり女性の率が高かったのだが、何か理由があるのだろうか。

高円寺の醍醐(Daigo)が10月17日で閉店

 閉店予定のニュースを知ってから、せめてお弁当だけでも買いたいと思っているものの、Daigoの前を通るのは午後4時台が多く…お店の人がこれから並べはじめるんだろうなぁというタイミングで通過してしまう。

 入店した回数は多くないものの、雰囲気のよいお店で、お値段よりもよい洋食が食べられた。

 一度だけ、その日には食べるものが決まっているので買えないなぁ〜というときに、たくさん積まれていたのが残念。

 なんとか、近いうちに。

ある一戸建ての広告

 相変わらず、不動産物件をネットで見ている。ある場所で、お得そうな広告を見た。築数年で広さもあり、南に面していて車を置くスペースもある——それなのに、微妙に安い。同条件ならほかで1000万円くらい足されていそうな値段。

 だがその場所の広告を出していた不動産会社のうち1社が、場所に直結しそうな地図を掲載していた。拡大してみたところ、なるほど線路の脇。しかも踏切もそこそこ近い。あの遮断機の音までセットでついてくるとなると、これはかなりの騒音だろう。

 先週その場所の近くを歩いていたので、この先の踏切だよなと目を向けると、そのそこそこ近い場所に物件が見えた。

 以前からその界隈に住んでいて慣れている人ならば別かもしれないが、これまでの持ち主または新築直後に入居した方が、音や振動で悩まれたことは、想像に難くない。

 そして許せないのは、何社もがこの物件を紹介しているというのに、線路と踏切が近いことをほんの少しでも匂わせている会社はひとつもなかったこと。これって、ありなのだろうか。野菜や牛乳の話ではなく、数千万円の買い物である。線路と踏切近しと、どうにかして匂わせる方法はないのだろうか。そして、倫理的にどうなのか。

 わたし自身は、1社がたまたま場所のヒントになることを書いていたために気づいたが、それも土地勘がある場所だったからであり、運がよかっただけだ。そうでない人たちは、詳細を問い合わせもしくは物件にまで案内してもらってようやく「あ、なるほど」となったのだろう。

 これからも、不動産のサイトはしばらく見ていくことになる。
 情報を集めて、その日が来たときに見る目が養われていることを祈るのみだ。

小説のネタを思いついたとき

 ネタは頻繁に思いつくのだが、だいたいにおいてわたしは「終わり方」のコツがわからない。これまできちんと終わったと思えるものがあったにせよ、数はそれほど多くない。

 これまでの、あるある事例。

 ○ このネタを書きたい、短編ならばだいたい終わらせられそうだと、構想を考える。
 ○ 細部まで考え終わらないうちに、余計なことを考える(例: どこのサイトに載せようかなど)
 ○ 細部が決まっていないのに「まずは書いてみようか」など、流れにまかせたいという誘惑が。
 ○ ここでまた「どこで(誰に)発表しようか、自サイトなのか、投稿サイトなのか…それによっては文体なども少し変わるだろうし、どうしよう」
 ○ これって、短編よりこういう風に膨らませたら、おもしろくね?(←そういう考えはまず短編を書き終えてから別作品として発展させればいいことなのだが、とことん脇道にそれる)
 ○ いや、とりあえず、書いてみよう。何か生まれるはずだから(←ひとつでもいいから終わり方の候補を考えてから書けって)

 …はたして、今回のネタは、どうしたらいいのだろうか。思いついているあらすじくらいは、どこかに書いておくとしよう。