環境省、ウナギ画像を無断使用

 環境省がツイートを消したと話題になっていたので検索したが、大部分の人が「環境省が絶滅危惧種を食用に推奨でいいのか」と書いていたところ、おひとりだけ「画像が無断」と書かれていた。ちょっと気になっていたのだが、毎日新聞の記事にそれが出ていた。
  2019.07.23 毎日新聞 環境省ツイッター、ウナギ「大事にいただきましょう」に批判で削除 うな重画像は「ぐるなび」無断転用

 これは、ウケる。。。国からして、ネットにある画像への意識は、こんなもんか。

国政選挙の投票日と、その夜

 いつものことだが、国政選挙や都知事選挙など大きなイベントがあると、その投開票日の晩は気分が悪くなることが多い。今日などは夜に出かけようかという話が以前からあったのだが、いつものことを考えて「近所だけ歩いたら帰ってくる、家で選挙の結果を見る」と、延期を提案した。そして近所で投票の後にケーキ屋とスーパーに寄って帰ってきた。

 気分が落ち着かなかった理由のひとつは、投票率である。昼のうちから前回の参院選より投票率が低いとネット等で話題になっていた。なぜこの国の人びとは投票をしないのかと、むかっ腹が立ちそうになり、どうにかこらえた。
 自分も20代前半くらいには、棄権したことがあった。だがだんだんと面白くなってきて、投票に出かけるようになったのだ。だから若い人が最初の数年間くらい出かけられずにいるのならば、なんとなくわかる。

 なんとか「おもしろい」と、興味を持つきっかけを、周囲が用意しておかないと、投票に行こうという気持ちには、なかなかなれないのかもしれない。

 また、高齢者の場合には、事情はさまざまかとも、同時に思う。

 ある高齢者(身内)に「投票に行けば」と言ったときのことだ。どうも「しばらく行っていなくて(行くことそのものが)不安だし、おっくうだ」という。政治がわからないとか、そういうレベルではなく、どの党が嫌いなどの話には乗ってくる。だが外出して何らかの重要な用件をおこなうことそのものが、どうしてもおっくうだという。
 そのときの返事の雰囲気が、運転免許を持たないわたしがなぜかガソリンスタンドでどう店員に給油を頼めばいいのかわからずに怯えるときと同じような(←不思議なことに車も持たないわたしが、ガソリンスタンドの前を通っただけでこれを考えてしまう)、他人にはよく理解できないが本人にはどうしても越えられない壁であるかのような、ぴしゃりとした反応だった。とりつく島もなかった。

 足腰が弱くなる世代という事情も含めて、外出そのものがおっくうになってしまった高齢者にも、気軽に投票してもらうシステム作りが急務であるかと思う。

 さて、今回わたしが比例で応援していたのは「れいわ」だが、開票速報がはじまった段階で2名の当確が出て、ほっとしている。ネットで開票の数字を見ながら、予想よりも明るい夜を過ごせた。

読めない漢字があるとき

 数年前まで使っていた古いATOKでは、たしか手書き入力というものが搭載されていた。読めない漢字があると手でそれらしき文字を書くことで、ATOKが「これですか」と聞いてくれたのだ。あれは便利だった。

 今日、読んでいた本にあった「斯界」という文字が読めなかった。昔の本、あるいは著者がご高齢なのか、たいして難しくなくとも文献名や固有名詞には読み仮名を振っているのに、「斯界の泰斗」などの表現は、漢字のみでどんどん遠慮なく目の前を流れていく。泰斗は「たいと」だろうが「斯界」はなんだと、ATOKで手書き入力を探したが、わたしの使っているバージョンには搭載されていなかった。

 では、次にこれをどう調べるか——適当に読んでみてGoogle検索できるか、あるいはATOKで変換できるかで試してみようと考えた。紙の漢和辞書はとうにどこかに行ってしまったので、この方法しかない。
 じっと斯界の斯の字を見て「なんかこれ、切るとか切られるとかいう雰囲気があるから、きかいと打ってみるか」と、打ちながら変換候補を探した。すると候補が下の方にあったので、それを選ぼうとしたところ、ATOKが「お客さんこれは”しかい”の誤読ですよ」と(もちろんお客さんとは言わないが)すぐさま指摘してくれた。
 読みがわかったので「しかい」で変換させて検索し、無事に意味をとることができた。

 手書き入力を復活させてくれたほうが便利なのだが、しばらくは「適当に読んでATOKに教えてもらう」方式で、やってみようと思う。
 なお、パソコン画面上やスマホなどで読めない文字をそのままなぞってコピペできる場合は、読み方がわからなくても問題なく検索できる。わたしの場合はパソコン以外のメディアだったため、読みが必要だった。

痛ましい事件が起こるたび

 勤務する人がいる普通のビルに、昼間に押し入ってガソリンで放火をするという事件が京都で起こった。30名以上がお亡くなりになり、現在も重傷または重体の方が多くいらっしゃるようだ。ほんとうに許せない事件である。

 さて、人が予想もしていなかった形で大量もしくは無差別の殺人事件が起こるたび、わたしは「加害者に男性が多い」と感じていた。あまり性別で偏見を持ってはいけないと思い、そういう表現で検索をしたことはなかったのだが、思いきって入力してみると、すぐさま法務省のデータが出てきた → 無差別殺傷事犯に関する研究: 第3章 無差別殺傷事犯の実態
 無差別殺傷事件の調査対象52人のデータで見るかぎり、平成23年の女子比は24.5%だそうである。近年20年ほどで16.2〜24.5%を推移しているという。

 前半を中心にざっくりとデータを読んでいって、傾向として高そうなのは:
 大都市圏に居住し、ひとり暮らしで、男性で、過去には勤めた経験もあったが現在は働いていないか、もしくは不安定な雇用形態で収入が安定しておらず、親しい知人などが少ない…ということだ。

 女性にも孤独で、収入が高くない人は多いはずだが、無差別殺人を起こす傾向が男性より低いのは、なぜだろうか。
 ここからはわたしの考えだが、社会が女性の生活や生き様に、強く干渉することが一般的であるためと思う。生まれてから思春期までは手厚く世話を焼かれ、自立心が芽生えて親元を離れてのちも、婚期についてやその後の生活など、かなりの部分で周囲が干渉する。そのため女性は、孤独になるとはいってもその程度が男性より「浅い」のではないだろうか。
 いっぽう男性は、いったん親元を離れるような年になれば「自分でなんとかしろ」と放任される度合いが高い。自分から友達を作るのが苦手な人は、いったん孤独を感じるとどんどんと深みにはまり、暗い方向にばかり考えてしまいやすい…ということも、理由の大きな部分として、あるように感じている。

 男性の多くが社交的になって明るくなれば事件が防げるとまで書くわけではないが、男性が孤独になったときに立ち直りづらい社会であるからこそ、状況を悪化させてしまうということは、あるはずだ。

 最終的には男女を問わずの話であるべきだが、もっと世の中全体のストレスが減る生き方を、考えていかねばならない。そしてそれに向かって具体的に努力をしていかねばならないと思う。

サポートからの返事メールが手抜きで幻滅

 昨日のEvernoteの件が半日以上考えても解決されず、あてにはしていなかったものの、念のためにEvernoteのサポートにメールを出したら、とんでもない返事が来た。

 最近サポート業務の一部をAIによるチャットで代用している企業も多いようだが、長年ずっと有料会員で契約してきて、いままでは人間の言葉で返事があった会社が、日本語としても不完全なメールを平気で返してくるとは、恐れいった。

 内容は、まず日本語がおかしかった。おそらくだがわたしのメール(日本語)を英訳してアメリカのデータベースに似た内容がないかどうか探し、それを日本語にもどして自動で返事をよこしたのだろうと思う。
 Fire7で使っているEvernoteアプリ、と書いたのだが…まずその部分に対し…

 ブラック 7 の Evernote アプリ(バージョン 7. 12)を使用して news をクリップすることができないということを理解しています。

 …ブラック 7 とは、なんだろ。しかも最後の「理解しています」は、もしそのままの意味なら大きな誤解を生むところだろうが(できないことを自分たちで理解しているなら改善しろとツッコミを入れたくなる)、おそらくこれは英語の I understand that your problem is (such and such…) を直訳したのだろう。あなたがお困りなのはこういう問題だということを理解しています、の意味だ。

 ここで面くらってはいられないくらい、つづく文章もおかしい。まずお決まりの「最新バージョンにアップデートするか」、「あるいはここ(リンク)からこんなソフトをダウンロードしてみるか」(←そのリンクは米国Amazonにあるもので、しかも現段階ではダウンロード不可の旧バージョン)と書いているが、話にならないことに、その記載内容はデスクトップ用である。

 つづいて、KindleサポートのAndroidアプリ(があること)もお知らせしておきます、と書いているが、だからそのアプリが動かないって話をバージョンも添えて書いているわけだろう…。信じられん。

 このあと「それでも解決しない場合は」とつづく。アホらしいのでもうメールは書かない。Evernoteという会社、大丈夫だろうか。便利なのでずっと使ってきたのだが…。そして東日本大震災のとき、日本に居住する全員に数か月限定で有料会員と同じようなアップロード量を認めてくれた、ありがたい会社でもあった。

 運営する人たちが変わったのだろうといえば、それまでだが。

Fire 7を購入したのだが

 Amazonのセールで、タブレットを買ってみた。Fire 7というものだ。セール価格とギフト券の残りとポイントを駆使して3200円前後で購入できた。

 おもな用途はKindleの読書だが、各社のニュースアプリをインストールし、Evernoteを入れてアプリから記事をEvernoteに放りこもうとしていたところ、まずネット上に溜めていたデータ8年分以上の見出しを1時間以上かけてダウンロードするという乱暴なことをしてくれたので本体が熱くなり、ほかの作業が進まず。
 1時間以上待って、そろそろ落ちついてきたかというタイミングを見て、各社のニュースアプリ(ニューヨークタイムズほか)から記事をクリップしようとしたところ、見出し文字以外はまったくノートにはいっていない。Fire 7上と、Macの両方の画面でそれを確認した。どちらにも、クリップ中ですという意味の絵柄が仮保存されていて、その脇には鍵マーク(これをクリックするとほかのアプリで作成されたものであるため編集できませんという文字が出る)が出ている。しばらく待っていると、そのクリップ中を示す絵柄に赤い×がつき、保存に失敗したと出る。

 ダウンロードはFire 7から直接おこなったが、ねんのためMacからもAmazonの画面を確認すると、Evernoteダウンロードページにあった案内では、注意点がふたつ。アプリの設定として「連絡先を読めるようにする」という点と、Amazonのアカウントサービスにあるアプリ一覧にアクセスすること、というものだった。だがアプリ一覧はおそらく使うのがFireタブレットであるからパソコンからダウンロードした人はそこの画面からFireにアプリを送ってくださいという意味にしかならないと思われるため、ここで行き詰まった。
 
AmazonのEvernoteダウンロード画面
 
 連絡先へのアクセスは最初にあちこち触ったときに切ってしまったので、ふたたびオンにした。Amazonのサイトにあったアプリの一覧も確認し、異常なしである。

 さて、どこが悪いのか。途中で1回タブレットを再起動したが、おそらく明日またやってみたほうがいいだろう。

 山ほど新聞記事をクリップしたいと考えているので、なんとか明日こそがんばってみたい。

雨の日は転倒に注意

 今日は阿佐ヶ谷から家まで歩いたのだが、雨で路面が濡れていたせいか、目の前で立てつづけにふたりも転んで驚いた。

 ひとりめは、年齢まではわからなかったがおそらく中学生くらいの、細身の女の子だ。早稲田通りで自転車ごとコケた。すってんころりんといった具合で、怪我はなさそうだったのが幸いだが、派手に転んだ。向かい側からお子さん連れの女性(自転車を手で転がしながら登場)、手前側からわたしたちが歩いていて、その中間地点だった。
 その女の子(と思われる)は、何でもないからぜったいわたしに声なんかかけないでと言わんばかりに、落としたものをかき集めて自転車に乗り、すばやく去っていった。大丈夫だろうか。また転ばなかったことを祈る。場所は夕方の早稲田通りで、そこそこ車も通る。

 それから50メートルか、もう少し歩いたくらいだっただろうか。わたしたちは住宅街への路地にはいった。
 横からゆっくりと追い抜いたバイクが、近くの前の家で停止した。そしてわたしたちのうしろからは車がゆっくりと二台やってきた、そのときである。バイクの男性(30代くらい?)が、なぜかバイクに乗ったまま倒れた。いったん停止したのは見たので、足を下ろしてバイクから降りようとしたところで、なぜかうまく降りられなかったらしい。滑ったのか、とにかくバイクごと倒れた。
 ちょうどそのバイクにあと2メートルくらいまで近づいたところの転倒だったので、わたしたちも大あわて。うしろから来た車はバイクに当たらないように距離をとろうとしたが、やはりすぐ近くをかすめるのが精一杯だった。あと少しの差が生じていたらと思うと、ほんとうに怖かった。

 立てつづけにこんなことがあったので、雨の日はじゅうぶんに注意しなければと、肝に銘じた。

日本人客お断りのラーメン店(沖縄)

 わざわざリンクを張るまでもないかと思うので、ご関心のある方は「日本人客お断りのラーメン店」で検索していただければ幸いである。

 沖縄だそうだが、8席しかないラーメン店に、1席余分にとったり、貼り紙をしておいても幼児連れでやってきたり(当然のこと席が幼児で塞がれても売り上げには結びつかない)、店が注意しても威圧的に言い返す客がいて、アルバイトがいなくなってしまった店があるのだそうだ。店主は自分ひとりになったのを機に、7月から3ヶ月間「日本人客お断り」の方針にしたそうである。10月からのことはまだ決めていないらしい。

 この件の大きな問題は、国籍による乱暴な制限はもちろんだが、日本人で存在したであろう現地の常連さんを、切ってしまったことである。沖縄といえど、客は旅行者ばかりではないはずだ。おそらくそれまで複数回は通っていた現地の客もいたはずで、それらの方々は、腹を立てたに違いない。

 客は現在のところ激減で、1日に2組しか来なかった日もあるのだそうだ。

 なんとか、よい道を見つけてもらいたい。さらに言うならば、国籍による制限は、時代の流れに大きく逆行している。
 

東京はバリアフリーからほど遠い

 知人と新宿で待ち合わせた。三連休の土曜日だからなのか、異様な混雑。知人は荷物が大きい上に、移動その他の事情で体力を温存しなければならないため、できれば階段を使いたくなかったのだが、まぁ呆れるほどに階段だらけである。

 東口で待ち合わせて、まず駅の中で地下へ降りる階段に遭遇。どうしてもそれが最短距離だったので、わたしも荷物に手を添えて階段を一緒に降り、地下道からアルタへ。アルタのエレベーターで地上に出て歌舞伎町で用事を済ませ、そのあと地下を伝ってタカシマヤ方向に移動し、最終的にはバスタ新宿に出ようと考えたのだが、歌舞伎町で地下に降りるエレベーターが、まったく見つからない。
 アルタはあまりに混雑しているので二度と行きたくないと考え、あちこちをうろうろし、ようやく紀伊國屋書店のエレベータを使って地下へ。そこで受難は終わりかと思いきや、なんとトドメの一撃で、紀伊國屋書店ビルの地下から新宿の地下街に降りるのに階段があった。笑うしかなかった。荷物に手を添えて一緒に階段を降り、ようやく地下道へ。

 そこまで降りて、ようやくのバリアフリーである。長い道のりをタカシマヤまで。時間帯によっては人通りが少なくて不安になることもある地下だが、三連休の初日で夕方、しかも外は小雨とあって、かなりの人通りであった。おかげで話をしながら無事にタカシマヤに到着。バスにぎりぎりの時間までどうにか食事を済ませて、知人をバスタで見送った。

 東京に30年以上も住んでいて、ここまで人にやさしくない都市だとは、今日まで気づかなかった。これで来年はオリンピック、パラリンピックだそうである。大丈夫か。

映画「新聞記者」に思う、課せられた枠

 たいへん評判がよいという映画「新聞記者」を見た。つい1週間前までそんな映画があることも知らなかったし、昨日まで原案が東京新聞の記者望月衣塑子氏の同名著書であることも知らなかった。

 わたしがうっかりしていたのか、ほんとうに宣伝があまりなされていなかったのかはわからない。ただ、わたしが公開後に英語の新聞記事でそういう映画があることを知ったのはたしかで、どんな映画なのかと日本語で検索をかけ直してから、興味を持った。そして家族が昨日の午後に映画館のチケットを見ていて「ついさっき見たときからでも席がだいぶ減っているから、もうとってしまったほうが」と声をかけてきたので、そうしてもらった。

 映画を見て、まずは正直に思ったことを書こう。

 作品そのもの、とくにストーリー構成などは、普通程度に面白い出来である。とくに何かが優れているとか、はらはらしたとか、そういったことはない。冒頭では現実にあった事件を関係者名を申し訳程度に変えつつ混ぜこんで紹介し、テレビ映像(ニューストークショー)のようなものも用意しているので、ある意味で現政権へのギリギリの当てこすりのようにもとれる。

 役者の演技や表情はよかったし、わざとらしい展開もなく、地味で安定した映画であったと思う。

 だが、この映画は根本なところで「枠の中」にとらわれている。官僚はこんな感じの人々、支える家族や奥さんはこんな感じの人びと、新聞社には圧力がかかる、それをはねのけることが上司にできるかできないか——まったくもってステレオタイプだ。
 そして新聞記者として体を張って生きている女性主人公は、普通の日本人女性でそんな役柄設定はあり得ないということだったのだろうか、アメリカ育ちで父が日本人ジャーナリスト、母が韓国人という設定だ。普通の日本人女性で努力に努力を重ねた人である設定にすることもできたはずだが、この映画はそれを選ばなかった。親の実績があったならば、そして外国育ちならば、つぶされないだけのガッツ(とコネ)があったのだろうと観客に匂わせることができて、制作者側には便利だったのだろうと想像している。

 日本の実社会にありそうなものを描こうとしたせいで、その枠の中に自分たちを閉じこめすぎて、この映画はもがいている。そして、あまりにも現実の事件と重ねすぎると問題だとでも思ったのか、冒頭からつづいていた大きな謎(このままであれば認可されてしまう大学はいったいどういうものなのか)を、金がらみの泥沼以上に規模を大きくし、人道的な危機につながりかねない展開にした。このギャップが、やや浮いて感じられる。

 周囲の客層を見ても、普段あまり連れだって映画館に来ないような方々も多く、この映画の提起する問題はとても深いのだろうと思う。観客の多くがどのようにこの作品を受けとめるのかはわからないが、多くの人が政治やメディアを考えるきっかけを提供したという意味で、有意義な映画だろうとは思う。
 だが、映像作品としては、さほど…というのがわたしの評価だ。

 さて、最後にわたし自身が気づいた、別のことについて。

 女性主人公の新聞記者が、あるお宅を訪ねる。意を決して訪ねて、家に入れてもらえる。季節は秋であったと思う。
 部屋に通され、温かいお茶を出されるが(——それが温かいお茶であろうと思うのは茶器からの判断)、そこからが、よくある展開とは違った。

 多く見られる展開は、まず「お気遣いなく」といったような態度を客が示してから、ひと呼吸をあけて「いただきます」というかのように(実際に言うかどうかはともかく)茶をひとすすりする。
 だがこの主人公、一瞬じっと湯のみを見て、すぐさま両手にとり、2〜3口ほどごくごく飲んで(熱くないのか?)、おもむろに本題にはいるのだ。

 それが冷たい麦茶で外が夏なら、別によいのだが、このシーンについてしばらく気になって考えていた。帰宅してからも気になって家族に言うと、しばらく考えてから返ってきた言葉が「普通の手順を踏むようなキャラではなく、ちょっと変わっていると描きたかったか、あるいはほんとうにこの映画の中では、そんなことはどうでもよくて、制作陣は誰も何も考えていないのでは」とのこと。

 なるほど。茶が出たらこうするものだ、そうしないのならば理由があるのではと勘ぐりすぎるわたしもまた、枠にはまりすぎているのかもしれない。