このところ、ちょっと変わっている人を見かけると、ついつい目や耳で追ってしまう。なんでこんなものを20個もカゴに入れているのだろう(何に使うのだろう)と驚かされた男性、もしかして認知症なのだろうかという不可解な言動の高齢女性など、1日1回くらいは、心にメモしている。
今日は大好きな百円ショップに出かけて、年末年始で冷蔵庫の整理に活躍しそうなタッパーを選んでいたのだが、おばあさんと呼んで差し支えなさそうな声の女性が(顔は見ていないので声だけで判断)、レジで大きめの声で話しかけていた。何かちょっとした騒動なのかなと、自然と耳がそちらへ向いた。
どうも、こういうことらしい。
その店は同じフロアにスーパーがはいっている。スーパーと百円ショップの入り口の境目に気づかない人は、スーパーの商品を百円ショップで払おうとしてしまう。そのおばあさんも、どうやら商品をごちゃ混ぜにして会計しようとしたらしく、わたしが目撃するその少し前の時間帯に、お店の人に「これとこれはスーパーの分」と言われたようなのだ。
ところがそのおばあさん、これとこれはスーパーのレジでと言われた商品が、そのあと見当たらなくなってしまったという。注意されたレジのところにやってきて、店員さんに「さっき言われたときここの足元に置いたら、いま見たらない」と。わけがわからなくなってスーパー内のどこかの棚に返してしまったのかもしれないが、それは本人にしかわからないし、ましてや百円ショップの店員さんに、わかるわけがない。
最初は「レジの前で、足元に置かれたものは、わたしたちからは見えないんですよ。だから、わからないんですよ」と応対していた店員さんだが、年寄りというのは概して同じ話をくり返すものである。自分が納得できるまでの時間稼ぎなのか、あるいはほんとうに途方に暮れているのかはわからないが、まるで世間話をするような口調で何回も同じ話をくり返す高齢者がいることは、お読みの方にも、ご理解いただけるのではと思う。
結果として、レジは混雑してしまっているのだが、その応対した店員さん(若い女性)が、優しい。
おばあさんが「コーヒーとね、それから…(なんだったっけ)…とにかく、あったのよ」
店員さん「それじゃあ、もしかしたら、自分も買いたかったと思った別のお客さんが、この辺におかれているのを見つけて、買って帰っちゃったのかもしれませんね。わたしもコーヒーは好きですよ」
…なんて、やさしいのだろう。わたしにはこんな応対はできない。つっけんどんにならないように気をつけるのが精一杯だと思う。気持ちに余裕があるのだろうか。
おばあさんは、その後、少しずつ無口になり、とにかく店を出ることにしたようで、お店の人に挨拶をして帰った。お店の人も明るく挨拶をしていた。う〜む、すごいな。
最近、こうして人々を見ていて、若いから経験がないとか、亀の甲より年の功なんて言葉が、いかに当てにならないかと思う。若い人でも気持ちよく接している人はいるし、年齢などの何らかの事情でひとくくりにできるような存在は、あまり多くない。個性があると、思う。
わたしも個性がある中高年でありたいと思うので、2015年は「個性」をテーマに生きてみようかと、いま適当に決意した。