96年の春に他界したわたしの父は、戦時中に10代の多感な時期を過ごしたためか、満足ができるという意味合いの表現と「腹一杯」が、同義語だった。「疲れたら腹一杯寝なさい」と、現代の子供たちには意味不明の(わたしですらときどき疑問に思った)表現が、あったように思う。
それはわたしの記憶違いではなく、以前に母にも「お父さんはこういう表現をよく使ったよね」と尋ねたところ、しばらく考えてから、「あ、言ってた」と返事。母にしてもなぜわたしがそれをわざわざ話題に出したのか、改めて考えたことがなかったのだろう。
この何ヶ月か、数十年前の日本人(複数)が書いた古風な文体の手紙(もちろん直筆)を読み解く機会が何度かある。昔の人は達筆で、縦書きも書き慣れているため、現代の略字体とは異なるだけでなく文字の流れ方が異なり、読み解くだけで半日かかるものもある。だがそれらの中で気づくのは「元気=働いている」なのだ。元気で働いておりますとか、元気でまだ(高齢にさしかかったのに)会社勤めをしておりますとか、基準が「外で働いているかどうか」に、おかれている。書き手が男女のいずれでも、書かれた対象が男女のいずれでも、それは同じ。
おそらく、家にのんびりしているような印象のもの、現代的な価値観からすると「在宅ワークは通勤時間の短縮ができていい」などというものは、その方々の時代では「遊んでいるわけではなく自営業なのです、隠居してはいないのです」と、必死になって言葉を添えるようなものだったのかなと、思ってみたりもする。
これらを書いた数十年前の方々はまさか将来にインターネットというものが全盛となり、直接の関係はないわたしがPDFに落とした手紙を読み解くお手伝いをしているなどと、思ってもいなかったことだろう。だからこそ、丁寧に、文章以外のことにも思いをはせつつ、丁寧に目で文字と時代を追っていきたい。
健康に留意してほしいとの結びの言葉が、どの手紙にも、幾重にも連なっている。いまはどれほど離れていようと半日以内にメールの返事が来て当たり前の時代だ。届くだけで日数のかかった当時とは、時代が違うのだ。
古き時代に思いをはせて、そして、まだ見ぬ将来へと、思いをつないでいく。わたしはその途中の一日に生きてると考えると、少しロマンチックではないだろうか。