今朝は病院に出かける用事があったので早めに家を出ると、数軒先のお宅前に水曜日におかれ、ご近所みんなで利用している空き缶、空き瓶、ペットボトルらの集積容器に、なにやら不審なものが。
それほど容器がいっぱいというわけでもないのに、ばらばらで入れなかった人がいるようだ。大きなスーパーのビニール袋で瓶と缶のそれぞれに1袋ずつ、何かが入れてある。遠目に見ても、あまり清潔そうではない袋だった。
いやな予感がして、通りすがりにちょっと中を覗くと…
中身のはいった鮭フレークの小瓶、少なくとも3個以上、そのほか何か中身のはいったガラス瓶と、袋の下のほうには「使って中身が少し残っている焼き肉のたれの瓶」が横倒しになっていて、外から見ても汚さがわかる状態。
いったい、何を考えているのだろうか。見て気分が悪くなってしまった。わが家はそうした集積の場を提供していないが、もし角の家に住んでいたら、頼まれたかもしれない。引き取りの業者はあまりにきたないものやルール違反のものを拒否し、その旨を書いたシールを貼って放置して去るが、これほどひどいもの(しかも大きめレジ袋入り)は、放置されることは疑いない。それをいったい誰が片付けることになるのだろう。
迷惑な人もいるものだ。
おそらく、近所にちょっと生活に疲れた高齢者の世帯があるのではと思う。中身のはいった瓶は百害あって一利なし、しかも液体(焼き肉のたれ)が残ったものは、もし袋が破れるか倒れれば、周囲の清潔な瓶すら汚してしまうが、
若い世帯なら、そもそも食べきれないほどの鮭フレーク(あるいは鮭フレークそのもの)を買わない可能性が高い。焼き肉のたれを使いかけて捨てるよりは下味のついた肉を買ってきて焼くか、もしや焼いてある肉を買ってくるかもしれないと思う。これは「たまに若い夫婦が様子を見に寄ってくれたときにみんなで食べようと思って買っておいた鮭フレーク」とか、そういうことなのではと、思ったりもする。往々にして、認知症も軽度な段階では「同じようなものをあとからあとから買ってきてしまう」というのは、よく聞く話だ。
それにしても、ほんとうにこれは、許せない。ぼけているのかどうかはともかく、物事の判断基準がおかしくなってきていて、本人らが「たいした迷惑ではない」と考えている可能性もある。
ぼけていた義父母がふたりで暮らしていたマンションの大きな大きな冷蔵庫には、義父の死後に、飲み終えたビン、缶、ペットボトルらに詰められた「水道水」が大量に残されていた。用済みのビン缶などに新しい使命を与えたつもりなのか、あるいはまじめにそれらが(ラベル通りの)飲み物であると思いこんで、せっせと溜めていたのかはわからない。何を考えていたのかは、本人が生きていた場合でも、うまく説明できるとはかぎらないからだ。
世間と没交渉の高齢者は、ぼけても周囲に気づいてもらえないうち、自分たちの世界にはいってしまってコトが大きくなる危険性が、世間と関わりのある高齢者よりも高いと、自分の体験や見聞きした例だけで判断しては申し訳ないが、それは言えていると思う。
今回の鮭フレーク事件、頻繁にあったらどうしようかと、ぶち切れてしまいそうになる。