テレビ朝日の番組内で、こんなものがあったそうだ。
若者が席を譲らない、それはなぜかと。
譲ろうとしたら断られたことを「苦い経験」と表現するとは、譲らない人を擁護するにもほどがある。ナンセンスだと思う。だいたい、それが気まずくて「苦い」経験ならば、自分が座らずに立ったままでいればいい。座っておいて譲らないなら、何の言い訳にもならない。
そもそも声をかけて断られた段階で、「自分は声をかけて断られたのだから、座りつづけていればいいと、気分の切り替えになるだろう。わたしも声だけかけて「いいです」と言われることは数知れずある。考えるより先に「おかけになりますか」と声をかけるが、たいていは、相手が驚いたような顔をして断ってくる。だがわたしにしてみれば、その直後から「声はかけたんだから、よ〜し座ったままでいよう」と、開き直れる。気まずさもなくて一石二鳥だ。
おそらく、考えすぎてしまうのだろう。譲ろうか譲るまいか、と。だったら「座らずにいるか」、あるいは「とりあえず聞いてみる」の、どちらかでいいのではないだろうか。
もっとも…。どういうつもりか「自分に声をかけるとは」と、怒る人がほんとうにいるなら、その人も問題と思うのは、たしかだ。普通に断ればいいだけの話ではないかと思うが。