アメリカに「にらみ」を効かせてもらって安全を願うのが、現在の日本の立場である。まるでいじめっ子かヤクザに頼る弱者のような構図だが、いかに見た目や表現が格好悪かろうと、残念ながらそれが実際のところだ。
だからといってあまりにもいいなりになりすぎ(思いやり予算しかり、米軍の訓練用飛行場の数しかり)ではと、悔しい思いがある。せめてもうちょっと強く、普天間「移設」ではなく「廃止で代替地なし」くらいのことを、言ったっていいのではないだろうか。
で、今後であるが…。
アメリカにあまりにでかい顔をされるのが我慢できないという意見が主流になっていく場合、相手に少しずつさがってもらう分、日本は自国の国防をもっと真剣に考えていかねばならないと思う。
結果として、自衛隊強化の発想から、若い世代には徴兵制(現状で厳密には「兵」ではないだろうけれどそれと同等の表現)が、復活することになるかもしれない。平和の中に数十年いた日本人の社会にそれが受け容れられるかどうか。。。そしてもちろん、国防がいつしか攻めの発想に遷移し、戦前の日本のように軍部の力が強くなっていく懸念と危機感もぬぐえない。
社民党の福島党首は立場がぶれずに、ずっと普天間の沖縄県内移設反対、国外を希望という主張をくり返しているが、同時に同党は憲法9条を守ることを理念としている。自衛隊の強化をせずにアメリカにも強く出るには、現状とは違うどういった策があるのか、そのあたりをどの程度にお考えなのかが、まだよく見えない。
まさか「こんなに立派な平和理念を持っている国を攻撃するのは恥ずかしいはず、正義はこちらにある」という、理屈を武器にはできないだろう。自分と同じ価値観を相手が持っているならば、そもそも世の中の紛争は半分以下かと思われる。理屈で戦えることがあるとしたら、価値観を共有している国家や社会が複数あって、たがいにうまく連携している場合のみではないだろうか。
いずれにせよ、わたしは「普天間廃止で代替地なし」で、何か問題があるのだろうかと、そう思う。アメリカには、残った飛行場などに人員を割り振って、がんばっていただきたい。