被爆から65年となった広島では、平和祈念式に各国の代表が参列。米国からはルース駐日大使が、初めての参加となった。
アメリカにもさまざまな言い分や世論があるのだろうが、せめて参列くらいは、65年を待たずしてもっと早く実現できなかったのだろうか。あまりにも大きな犠牲があり、現在も病気に苦しむ人がいる。誰がどう見ても「やりすぎ」の、ひどい状況をもたらしたのだ。悲しみを表現する気持ちは、人間なら誰しもがいだく自然の感情のはず。理屈や外交の駆け引きではなく、悲しみを共有する姿勢を、もっと早く見せてくれてもよかった。
広島や長崎の苦しみは、残念ながらまだ終わらない。沖縄は苦しみつづけている。平和への道を、ほんとうに世界は歩んでいるのか、歩んでいけるのか。
唯一の被爆国家という立場と、アメリカの抑止力(核を持っている国に守られる)に期待する立場と、ともすれば矛盾するこの状況に、日本はこれからどう折り合いをつけていくのだろう。
投票権を得てから最初の数年はともかくとして、できるだけ国政選挙には投票をするようにしてきた。これまでの関心は社会福祉や男女間の公平さだったが、この一年で、政権交代してもやはり日本は外交がだめなのだと、いらだちが高まった。
もっと強く、言いたいことを言える国であってもらいたい。このままでは国民まで自信がなくなってくる。いったい次の国政選挙では、何を基準に投票したらいいのだろう。悩みは尽きない。