子供のころ、父親が子供のころに地元小学校(?)にやってきたという、衛生博覧会の話を聞いた。父は存命なら90に手が届くくらいの年齢であったはずなので、その子供時代といえば、おそらく第二次世界大戦より前なのだろう。衛生博覧会というのは、何がどう「衛生」なのかはあまり考えないことにしておくが、学術的な言葉の印象を隠れ蓑にした、実際には見世物だったのだろうと思う。父もミイラの親子がどうのこうのと言っていたような気がする。
さて、こんな記事を見た。看板の表現や、文中に出てくる表現がすごい。これ、笑ってはいけないのだ。実際に人がおもしろおかしい役名(?)をつけられて地方を回り、病気や怪我などで一般的ではなくなってしまった身体的特徴を露出させるか、あるいは体を張った芸をした。それはいまの人々が享受する「職業選択の自由」ではなかったはずだと、容易に想像できる。
京都新聞 2014.08.28 → 消えゆく見世物絵看板 京都文教大教授が収集、公開
この記事では、当時の世に強くあった差別意識や働いていた人たちの処遇について、いっさい触れられていない。それにわたし自身も、この文中の興行主についてとくに思いがあるわけではない。だが一般論として、こういったものを、ただ昔の文化のひとつとして懐かしがるような記事で、いいのだろうか。
現代では、あからさまな見世物小屋(巡業形式の)はなくなっただろうし、ときにそれに類する展示会があれば、物議を醸すこともある。かつて「人体の不思議展」などが、そうであったように。
だが、心の闇や差別意識は、別に減っているわけではないのだろう。これは表に出すまい、これは内輪の話としてしか言うまいといった、本音トークのようなものは、いつの時代にも消えはしないことだろう。
差別や黒い心は、見えにくくなった。それがいつか「見えたとしても希薄」な状態になることができたら、そのとき世の中が成熟したということなのかと、考えている。