最近、誰かの発言や書いたものについて「誤変換、あるいはこの人が使い方を間違えているし…」と、決めつける前に、深呼吸することにした。いや、これはもっと早くそうすべきだったのだが、この年になるまでは、自分の見聞きしてきた日本語用例はきちんとしているという思いが、強かったのだ。
ただ、20年以上前だっただろうか。ある高齢者の前で「ぜんぜん大丈夫です」と話したら、ほんの数秒だが、相手の顔に小馬鹿にするような表情が浮かんだことがあった。ぜんぜんを否定にしか使わないのはこの数十年の使い方であり、もともと「まったくもってその通りのさま」であるから、その使い方に問題はないと考えてきた。そのため、ずっと普通の言葉として使っていたわたしは、その表情に気づいて軽く不快になったのだが…いやいや、待て待て、相手を見て無難な語彙を選べばよいだけの話だ、落ち着け…と、こらえたのだった。
つい数週間前のこと、ある俳優さんがツイッターで「(その人を)卑下するのはおかしい」と書いた。わたしは自分を卑下する使い方しか知らなかったが、検索すると、人を見下すときにも使われる表現だという。自分は使わないが、そういう表現があるらしい。
そしてさきほど、新聞社のサイトで「彷彿させる」という文字に出会った。「彷彿とさせる」の間違いではないかと思って検索したら、そうでもないらしい。たとえば日本語には「連想する」や「記憶する」があるが、それらは「する」がつかなければ名詞、ついたことで動詞の役割を果たす。そういう風に活用をさせたと考えれば、彷彿させるで、何の問題もない。また、いくつかの辞書サイトによれば、「と」のはいっている用例紹介のほうが、少ないようにすら感じた。
さて、こちらは検索で引っかかった、読売テレビアナウンサーさんによるブログだが、参考までにリンクしておく。後半に、辞書編纂者さんのコメントも含まれている。
新・ことば事情 3745「『彷彿させる』か『彷彿とさせる』か」
いずれにせよ、これからも文字を書く際にはじゅうぶんに注意していきたい。決めつけはいけないと、何度目かわからないような決意だが、肝に銘じておかねばならない。