どこで読んだのだったか、あるいは記憶違いかもしれないが「子供のうちにたくさん魔法にかけてもらうと、その子はよい大人に育つ」とかなんとか…。いや、やはり正確には記憶していない。その意味はたしか、親があまり小難しく「子供にこんなものを見せていいのか」「何をどう教えるべきか」に悩みすぎず、まずは見せたいものを見せて好奇心を育てよう…ということだったかと思う。
だからといって、ものには限度があるはずとしみじみ考えさせられる事例も(^^;。自分が中学ころよく見ていたテレビ番組(矢追純一のUFO特番)を夜遅くの有料放送でたまたま見かけて、「ああ、ここまでひどかったのか」と笑うしかない状況を体験してしまった。かなり脱力する。
こんなものを子供に黙って見させてくれていたなんて、うちの親は寛容だったのか、あるいは気づいていなかったのか、さてどちらだろう。
UFOは、この際どうでもいいのである。最近になってスマホが急速に普及したために「不鮮明な画像、映像」が出まわらなくなってしまい、あの「もう少し鮮明だったらよかったのに」と、怪しさ爆発の映像に目をこらしていた子供のころが、妙に懐かしい。当時ですら心のどこかで笑っていたのだろうから、いまになってばからしさにショックを受けることはなく、むしろ微笑ましく当時を振り返れる。
だが、目と耳を疑ってしまったのは、ケネディ大統領暗殺の話。UFO問題などを含む情報を公表しようとしたから殺されただとか、殺害のとどめの一撃はパレードの車を運転していた男性だとか(ゆっくりした速度で移動中、しかも衆人環視の車だというのに、運転手が大統領を撃つのかっ ^^;)…こりゃまずいだろう。ああいう運転をするのは国家公務員だぞ、本人もしくは家族から、名誉毀損で訴えられるぞ。
それによく考えると、あの手の番組は外国人の音声に日本語を完全にかぶせてしまっているケースがほとんどだ。もしや映像の中で外国人顔の人が「ABCでEFGなんですけどGHIとかかぎらないと思うんですよ」としゃべっていても、そこに「ABCでEFGですから、もうばりばりGHIですよ」という日本語をかぶせたところで、誰にもばれやしないのである。歴史上の大事件で運転手がどうのという話を、こんな怪しい作りにしてしまって、いいのか。だいたい、こういうの、いまでも「あり」なのだろうか(さすがにないと信じたいが…)。
当時はネットもないし、比較対象物がないから、おそらくこういったテレビ番組の内容は外国(アメリカ?)のどこかの局が作った内容を再構成するなど、パーツを買ってきて組み立て直すような安易な作りだったのではないかと想像する。いっぽう、元ネタやクレジットをきっちりと出さなければ、いまの時代に似たようなものを作って流すことは、難しいような気がする。
川口浩探検隊シリーズや、この矢追特番など、あの「チープさ全開でどこかわくわくした」ものは、やはりいま目にしないで記憶の底にしまっておくのが、いいのかもしれない。
運転手に訴えられなくてよかったねぇ、矢追さん。