先日からネット上を含め世の中で物議をかもしている曽野綾子氏のコラム。産経新聞に連載しているコラムの2月11日付けの文章が、アパルトヘイトに一定の価値を見いだしているように読めてしまう(ご本人は否定しているもののそれ以外に読めない)件について感じること。
まず、去年の6月にわたしがこのブログで書いた内容を思い出した。
変わるのは世の中の事情のみ、でいいのか。
大筋で書けば「日本国内の女性を家事から解放する程度の労力だったら、外国からどんどん来てもらいたい」と読めてしまって仕方ない、上から目線の橋下市長(大阪)について、書いたものだった。
そのときわたしは、女性を家事から解放するのはけっこうだが、その先の受け皿を何も考えていないのならばナンセンスと考えた。つまり、家事はオトコがやらないようなシモジモのことという意識が氏にあって、それを「じゃあ外国人に」という程度の思いからその発言へとつなげたのであれば、女性は従来のオトコのいる場所で、何か地位や役割を「正当な対価と正当な評価で」獲得できるのか、という点だ。
だいたい、家事が忙しいから家にいるしかない女性が、どれだけの割合で存在するのだろう。社会が女性を正当に考えてきていたならば、仮に1日おきに働きながら1日おきに家事や介護をする、そして自分や家族の稼いだ金から費用を捻出してヘルパーさんやお手伝いさんを頼むということも、すでにできてきたはずだ。だが実際問題として、女性が日に数時間や1日おきのパート仕事に出れば「正社員ではないから、家庭がある女性は仕事を優先してくれないから」などという理由で、賃金は低く設定される場合が多い。家のこともあって体は疲れる、仕事も評価されずに低く見られる……そういった暗い方向への気持ちの連鎖で、社会に出られないうちに閉じこもっている人もいるはずだ。そしてそういった人たちが橋下氏の言う「解放される女性たち」の頭数にはいっているとは、とても思えない。
この状態がそのままであるとき、さー外国人が来ましたよ、家の中のことはその人たちにまかせて、社会に出てください…なんてことは、まったく絵に描いた餅なのだ。いや、絵にすらならない餅、ただの絵空事だ。
曽野綾子氏のコラムに話をもどそう。今回の話を聞き、関連文章を読み、その後の氏のコメントを読むにつけ、いったいどうしたらそんなに強気でいられるのかと、首をかしげざるをえない。何を根拠に外国人がうらやましく「働かせてください顔」をしてやってくると思っているのだろう。あるいは来なくていい、来ないでほしいと本気で思っている可能性もあるが…?
このところの円安で国民の大多数は支出が増え、生活が苦しい。この状況をもって国力や経済力が高いとは、お世辞にも人は考えないだろう。外国から見ても「以前に思っていたより安い国」という認識ではないだろうか。
さらに、外国人に対して職業の門戸をせばめてきた歴史が長いため、なかなか日本で長居をしてくれる外国人もいない(例:看護や介護の勉強を数年間してくれても、語学の壁などで日本の国家試験に通らなければ帰国しなければならない場合がある)はず。それなのに、下働き程度の簡単な仕事なら日本にほいほい(たとえ差別的な待遇であろうとも)来る外国人がいるはずだ、それでもよいなら来なさいと考えているかのように読める文章。
日本がこれから真剣に検討していかねばならない移民制度の重さと深刻さを、なぜか「短期の季節労働者、出稼ぎ」と同程度に軽く論じているような気がしてならない。日本がこれから先、これまでの生活水準と同程度を維持していくのであれば、そして社会制度の大改革で改善が望めないのであれば、出稼ぎどころではなく、大規模な「移民」の話が必要になってくる。
生地が異なる人、あるいは異なる文化圏から来た人でも、あらかじめ定めておいた約束(たとえば日本語をきちんと習得する、必要な資格はとる)を満たしていれば、区別なく受け入れる。これが原則だ。移民というのはそういうものだろう。気分的に落ち着かないことは、最初はあるかもしれない。だが、移民というのはそういうものだ。
現在の国内の労働環境(失業率、地域格差、男女差)などが改善されていないというのに、移民について考えていかねばならない刻限が否応なしに迫っている。日本はいい国だとか、引く手あまたとか、来る外国人を自分たちはどう選ぼうかなどと、そんな勝手な幻想に酔っている時間は、まったくない。
数十年後の日本が活気あるものであるためには、いますぐ現実をしっかりと見て、体制づくりをしなければならないのだ。もはや遅すぎるくらいだ。
外国の人に「ぜひ日本で働きたい」と思ってもらえるような国になるためには、まず日本国内を元気づけ、地方の失業率や賃金格差、そして全体的な女性の格差を、是正しなければならない。
ほんとうに政治家や、国を動かす影響力を持つ人たちは、いったいどちらの方向を向いているのだろうか。株価はいいから、国民の生活とやる気を守れ。