日本人の平均寿命で考えたら、人生の半分はとっくに折り返している気がする年齢だが、毎日ほんとうに知らないことだらけだ。
林真理子氏のエッセイ問題を今日だけで何度も見かけた。これも曾野綾子氏のものと同様、多くの人が騒いでくださるまでまったく知らなかったのだが(その内容はあまりにひどいと伝え聞いているため、みなさんも検索していただきたい)、そこにさらに輪をかけてわたしが驚いたのは…
…その林真理子氏のエッセイ「夜ふけのなわとび」は、これまで何度か物議を醸したこともあるらしいと聞くが、なんと10年以上前からの連載だそうである。連載は書籍化され、文庫にもなっているという。
書店にはそこそこ出かけ、オンラインショップでは文庫のエッセイをよく検索するというのに、なんと、一度も気づかなかった。文春がいかにわたしの生活から遠い雑誌であるか、林氏がわたしといかに無縁であるかということだろう。
昨日ここに書いたことに近いが、あきらかに異質すぎると、その場で意見してエネルギーを使うより、おたがいの視界にはいらない場所で暮らす自主的な棲み分けがなされるということなのだろう。だが、普段その人を知らずにいたからといって、別にその人の言動を許してきたわけではない。知らなかったから問題にしなかっただけで、知ってしまったら今後は「積極的によけて暮らす」か「最低限の口を出す」か、どちらかにしなければならないが、伝え聞くエッセイの内容はあまりにもひどい。だが原文を読むために文春を買いに行くのも気が重い。さてどうしよう。
さて、もうひとつの驚き。まったく知らなかったのだが「居空き」という言葉をみなさんご存知だろうか。
家が留守のときにやってくるのが空き巣、家に人がいても気づかれないように忍びこんで金品を奪うのが「居空き」だそうである。これは怖いな。うっかりと大声を出したら、相手が逃げてくれるとは限らない。かなり嫌だ。だがわが家はとりあえず人が侵入したあとにすぐ気づかずにいられるほどの部屋数はないので、おそらく泥棒のほうも遠慮してくれることと思う。