新幹線など交通網の発達により、国内がけっこう狭く感じられるようになった。いつも食品の話で恐縮だが、以前ならたまに遭遇できればよいほうだった北陸の菓子や食品が、新幹線開業の影響でキャンペーンをする店が増えに増え、この半月くらいにかぎっていえば、そこらへんのスーパーにさえ、あふれているほどだ。
数十年前とは大違いだ。
北関東では中学の修学旅行先の候補として「京都、大阪」が欠かせなかったが(←より正確にいえばわたしの前後の学年で、それ以外の選択肢があったという話を聞かない)、初めての京都、大阪で「自販機のジュース、みんな太いぜ!」の大騒ぎになったのを覚えている。
当時の関東地方では、自販機も店で売る缶も、飲料は250mlくらいのスリムなものばかりだった。関西では一足先に330mlくらいのものが売られていたのだろうが、そんなことは知るよしもなかった。感動したあまりに中学生一同は自販機チェックに走り回り「ここもだ、あそこもだ、買って飲んでみよう、値段も同じだ」と、まるきり修学旅行の意味を取り違えながら、叫びまくったものだった。
高校を出て東京に出てきてからも、いまほど地方の食文化が気軽に味わえるものではなかったし、アンテナショップもいまほど多くなくて、地方特有の食品や菓子の情報には飢えていた。まだインターネットは大学生や研究者のもので、パソコン通信があるだけだったが、だいたいパソコン通信というのは同じ土地の誰かが運営しているホストに電話をかけてつなぐものだったから(大手の有料ネットを除く)、居住地が近い人が多いのだ。だから、それほどずば抜けた情報が得られるわけでもなかった。
インターネットの時代がやってきて、一般人でも広く使えるようになったころでさえ、わたしは京都の阿闍梨餅は京都駅で買う物だと思っていた(笑)。京都に出かけると阿闍梨、阿闍梨と言いながら買いまくり、持ち帰っては阿闍梨、阿闍梨と食べつづけた。だが現在、わたしが勝手に自分の庭よばわりしている新宿伊勢丹の銘菓コーナーで買える。涙が出そうである。
駅弁、空弁も、普通にスーパーで売られる時代になってしまった。最初のころは涙を流して「珍しい!」と食べまくっていた明石の「ひっぱりだこ飯」の遭遇率が高くなった。いまや東京駅構内には、パチもんと呼んでは失礼かもしれないがやっぱりパチもんの雰囲気ありまくりの「東京たこめし」(by銀だこ)が買えるが、本家が東京中の駅弁フェアにあふれているのだ。
こうなると、食べ物、飲み物、菓子でレアものを探すのが難しくなってくる。大昔に関西に出かけたときだけ見かけた缶入り「梨のジュース」やら、京都のお寺で売られていたけれど時間がなくて正体が不明だった「ひやし飴」も、現在なら東京で買えてしまう。あのひやし飴…何年も頭から離れなかった飲み物を、あるとき東京で、瓶詰め市販品で飲んだ。十代のころに訪れた京都の寺境内で売っていたのは市販品だったのか風情ある飲み物だったのか、いまとなっては知ることはできない。
このままだと、何でも買えてしまうのだろうなぁ。。。それでもなんとかレアものを見つけ出したい。