人間は、なかなか割り切れない生き物。合理的であることだけが人の幸せではないと思うものの、やはり社会が成熟していく過程においては、どこかで合理性を強く押し出していかねば、物事が成り立たない。
仮にだが、いままで500億円を投入し、一部の強い反対を押し切る形で何かの工事をしてきたとする。だがその工事の根拠が失われた(最初から間違いだったか、あるいはもっとよい案が浮かんだ)としたら、人々は「いままで投入した500億円がもったいない、反対を押し切って進めたのに、それらが無駄になる」と、考えてしまいがちである。
だが、500億円ですっかり終わる計画ならばまだしも、さらに500億かかることが予想されているとしたら。もう一方の案であればこれまでの500億はどうであれ、200億で済むとしたら——普通の感覚ならば、新しい案に移るのが得策と思う。だが人は実際にはそう動かない。
○ あれだけのわだかまりを超えて押し切ってきたのに、またもめるのか(これはまったく問題にしてはいけないことだが、人はおそらくここにこだわる)
○ これまでの作業で雇用が生まれ、これからの分の期間も働けると思っていた人がいるのに(これもまた、別の仕事を探すもしくは新案での雇用を継続するなどの配慮があれば、反対理由とはなり得ない)
○ いまさら計画がよくなかったことになってしまうのは、納得がいかない。ベストの判断だということで誰かが熟慮したのではないのか、自分たちは騙されて、ばかにされてきたのか(自分の価値がおとしめられたように感じてしまうことも、人によっては、あるかと思う。一生懸命に打ち込んできた人には、ありがちなことかもしれないが、それはご本人たちのせいではないし、阪大理由とはなりえない)
このあたりで合理的に割り切れる人が、当事者である一般人のほかにも(行政や政治の上層部にも)いないと、いつまで経っても無駄だらけ、効率も悪くて、結果も出ないことになる。
話はちょっと日常的なことになるが、骨子は同じ話。
コレステロール値に影響が出ると思われてきた食品らは、実はそうでもないと言われてきている。食べ物だけが影響しているわけではないと、アメリカなどでは数年前から言われてきているが、日本では血液検査の判断基準におけるコレステロール値やBMIが他国よりも厳しくて、まだそれらはあまり国際基準になっていないようだ(*1)。そのあたりも「急に変わると現場が混乱するから」とか、あれこれ言い訳が用意されているに決まっているが、ようするに、柱はふたつだろう。
注(*1):2015.5.16の東京新聞朝刊を読んでの感想、まだウェブには記事詳細はでていないようなので、リンクでご紹介できない。
そのふたつとは、つまり、製薬会社など健康市場が急に儲からなくなることへの配慮、そしていままでさんざん厳しく指導してきた患者たちに「卵なんか別に2個だって3個だって食べていいですよ」とは、少なくとも自分は言いたくないという医者の感情的な問題。
こんなのは、実にくだらない。なぜかといえば、健康的な基準を国際的なものに近づけるか合わせていくことで、心配して病院に駆けこんだり栄養指導を受けようという人が減り、健康保険が助かるから「国や税金にとっては、いいことであるはず」なのに、目先のことを考えて、変化を遅らせるのだ。いかん、いかん。。。
いままで地元の人々が親子代々お世話になってきたダークもしくは実務に無知な政治家を、ずるずると生かしているのも同じ発想。かつてはお世話になったし、ずっと支えてきたんだから…と。
最近あまり主張として理解できないけれど、以前から入れてきた政党だから、いま支持政党を変えると、過去の自分の判断が間違っていたことになるから、なんとなく同じところ…という発想。
過去の呪縛から逃れて、明日からのことだけを考える勇気を持つ人が増えたら、もう少しよい世の中になるような気がする。