一度「そんなことが」と思う事件が起こるたび、もうその前日までと同じ日々にはもどれなくなってしまう。今日も新幹線車内で信じられない事件が起こった。痛ましいことだ。
日本の新幹線ダイヤの現状を思えば、車内自殺(しかも多大な巻き添え付き)を考える人間がひとりいただけで、明日からが不安でたまらなくなる人も多いだろう。世の中には数日おきに新幹線に乗るような職業の人もいらっしゃるのだ。
いろいろな、過去の事件が頭をよぎる。
30年以上前、東京を中心に青酸コーラ事件というものがあった。公衆電話ボックスなどに青酸ソーダ入りのコーラ(一見すると未開封)が置かれていて、それを飲んだ数名がお亡くなりになった。関連があるのかどうかはわからないが、青酸チョコレートというものもあった。
拾い食いをしないようにしようと声かけをするきっかけになったのは結果としてよいことだが、当時は流通の多くを占めていたガラス瓶に金属蓋のコーラは、ほどなく缶入り商品(開栓したことが容易にわかるため)に、その座を譲ることになった。
そしてその犯罪そのものに影響された次の犯罪への影響もある。たとえばグリコ森永事件で犯人がおいた商品に添えられた「毒入り危険」の表示は、青酸コーラ事件が存在していなくても、そういう表現だっただろうか、少しは影響があったのではと思うのが自然かと思う。
犯罪が起きれば規制が強まる。だが規制でがんじがらめになるのがわかっていても、あったほうがいい規制もあるし、逆に「こんなものわざわざ決めておかなくても」と思うような些末な約束事も、あるに違いない。
何事も学び、教訓として、それからの日々に生かしていかねばらなないが、世の中が新しいことで満ちていく現在、好奇心もしくは無謀な考えの数だけ社会における「想定外」が生まれていくことを思うと、多少の息苦しさを予感している。