子供のころ、うちの母親が病院で(←当時は個人宅を兼ねた小規模クリニックのようなものが多かったが)大きな札を出さないようにと、あらかじめ細かくしてから通院していたのを覚えている。
おそらくその意図するところは、買い物先でこちらがお客様である場合には仕方ないだろうが、病院は病気を治してくれて薬も出してくれる「人、対、人」の場であるから、迷惑はかけられないということだったのではと思う。
そのほか、おそらくわたしがいまも実行していることは母譲りなのだと思うが、朝一番の客が少ない店では一万円札を出さないようにするとか、あらかじめ金額がわかっている場合にはできるだけ小銭で会計してあげようというのも、自然に考える。これはもう、古い人間なのだろう。若い世代は万札を何時であろうとどこであろうと出すか、あるいはプリペイドカード、クレジットカードを出すのかもしれない。
今日は近所の眼科クリニックに出かけ、先日ここで書いた目尻の痛みについて相談してみた。最初は目尻が痛いのみだったのだが、翌日の夕方くらいから、うっすらまぶたが赤くなり、いよいよ腫れるのかもしれないと感じたためだ。だが目は充血していないし、半信半疑だったのだが、よく見てもらうと目尻のあたりに小さなものもらいがあったという。そこで、目薬を処方してもらった。
眼科医の窓口では、会計780円と言われて小銭をありったけ出して数えたら750円しかなく、窓口の人に「惜しかったですねーっ」と言われた。その直後にすぐ近くの調剤薬局では、わたしと同じ眼科医の待合室にいた高齢女性が、すみません、すみませんと、ずっと口ごもっている。何かというと、財布を見て、これから言われるであろう210円の薬代について「細かいのがない」のだという。まだ薬も渡される前だが金額がわかっていたのだろう。おなじみさんなのかもしれない。薬剤師さんが近くにいるわけでもなく、ほかの利用者が少しいただけなのだが、すみません、すみません、細かいのがなくてと…あれは練習だったのかな。いや〜、そこまで恐縮しなくても、いいと思うのだが(笑)。
まもなく、渡す薬を手に話しかけた薬剤師さんは、それくらいのことで何度も謝るはずがないからと、最初に「いいんですよ」と声をかけたあと、何かわからないことがあるのだろうかと、薬やそのほかの情報を丁寧にゆっくりと解説しはじめたのだが、わたしにはおばあさんの気持ちがわかる。あのおばあさんにとっては、薬局で210円を用意できていなかったことが、なんだか落ち着かなかったのだろう。
そしてわたしは、クリニックでも薬局でもその後に寄ったパン屋でもありったけの小銭と千円札で買い物し、ようやく最後に「もうほんとに万札しかない」という段階で、駅のスイーツコーナーで万札を出して帰宅。そうそう、駅のケーキ売店なら利用者も多いであろうし、万札を出してなにが悪いという気がするものだ。
ちなみに、駅の横のスーパーは少額でもクレジットカードで買う。ほかのスーパーはnanacoやクレジットカードを駆使している。