どうもこの数日、何を考えていても重苦しい話になってしまいがち。
今日はカナダ人の監督がアメリカで実際にあった大事件を映画化した件(長期間にわたる少女誘拐事件で、「ジェイシー・デュガード誘拐事件」で検索をされたし)について読んでいて、あることを思い出してしまった。
2000年に判決があった、新潟の事件である。たしか判決は14年と数ヶ月だっただろうか。
日本の刑務所が刑期を超過してまで収監することは考えにくいので、遅くとも今年だろうし、もしやもっと前に出所していたかもしれない。
こういう件では、ほんとうに悩む。その本人の後日談を、追っていいのか、悪いのか。
決まり事への何らかの違反や、結果として人に大怪我を負わせてしまったという話とは、次元が違う。幼い子供に取り返しのつかないことをした(そしてこの件に関して言えばだが、冤罪の可能性はゼロの)人物について、仮に刑務所の関係者が何十人「彼は更正しましたよ」と言ったとしても、やはり、気持ちとしては、出てきて貰いたくないのである。
だが、刑務所で刑期を勤めればそれを更正と見なすのが、世の中の仕組みではある。それはわかっている。そして興味本位に詮索する人が増え、結果として噂を含む情報が出まわることで、その人物もしくは関係者への(精神的および身体的な)加害行為にまで発展するような事態にむすびついては、もちろんならない。
もし将来これが可能になるとすればだが、こういった事件で出所等に関する公的機関からの最低限の情報提供と、それを聞く(あるいは受けとめる)側の節度ある態度は、バランスはとれるのだろうか。やはり、人は出所と知ればその時点から激しい感情を持つことになりそうな気がする。
世間一般の話として書いていても難しい問題と思うのだから、事件の被害者や関係者にしてみれば、どれほどにつらいことかと思う。