偶然に見たテレビ番組(何かの再放送?)で、上沼恵美子が歌っているのを見て驚き、Facebookに書いたところ、漫才をしていたころに歌が大ヒットしたと教えていただいた。おそらく関東から出て暮らしたことがないわたしが想像する以上に、関西以西では有名人なのだろう。
こういうことを考えはじめると、次に思うのが役者の升毅さん。95年にテレビ番組「沙粧妙子-最後の事件-」に謎めいた役柄「梶浦」として出演されるまで、顔はなんとなく知っているが名前の読み方もわからなかった。その後、ネットでは数年間のあいだに「関東では升毅を梶浦みたいな役で覚えてしまっている」という意見をいくつか発見。たしかにご本人の公式サイトにはお茶目な画像がたくさん載っていて、もしかしてコメディが似合う人かもしれないと、漠然と思った。最近ではあまり地上波のテレビ番組を見なくなってしまったので、あまりお姿を見かけることも多くないが、おそらくさまざまな役柄で活動されているのだろう。
さて、話がさらに飛ぶが、ドラマ「沙粧妙子-最後の事件-」は、わたしは個人的に、携帯電話の普及に一役買ったのではないかと思っている。浅野温子と佐野史郎が、ヘッドセットと一緒にCDプレーヤーのような小型の物体を持ち歩き(おそらくハンディタイプの携帯電話がまだ一般的でなかったのだろう)、たがいに別の場所を会話しながら歩いているシーンが複数回あった。携帯電話ってすごいんだなと、漠然と思った。
ただ、すぐ財布の話になってしまうが、90年代前半であればもしかすると、従来の固定電話の契約時に長いあいだ負担金があったのと同様、まだ費用のほかに契約時に数万円がかかった時代かもしれない。通話料もかなりの額だったはずだ。
利用者が増えれば価格も下がる。その後、けっして通話料が安いとは言えないまでも、携帯電話は子供から高齢者まで、幅広い層の必需品になっていった。この数年に関していえば、わたしの田舎の母(ATMも使えない、すべて窓口を利用する人物)までも、携帯を使うようになった。ほどだ。
わたしは95年ころからサービスが開始されたPHSに少し遅れて加入し、いったん契約を変更するなどして少しの中断があったものの、去年くらいまでは運営が引き継がれた会社で契約を継続し、ずっとPHSを使っていた。去年からは通話料などの条件がほぼそのまま引き継げる形でソフトバンクに移行、現在はiPhoneと2台持ちである。
この20年、人は便利になった。駅の伝言板もなくなり、待ち合わせ場所や待ち合わせ方法も変わり、人は人に会いやすくなったと、たぶん思う。だが公衆電話が激減したなどの、いざというときの心の支えがなくなったことも事実。そして災害などで電気に不自由したり、いざというときに携帯電話以外の手段を選べない(思いつけない)ときに、人はどうするのだろうと、もしや便利さとともにもれなく脆さがついてきたのではと、つい考えてしまう。
ときには、不便な生活についても考えるのが、いざというときへの、心の備えかもしれない。