新幹線に最後に乗ってから4年半。飛行機に乗ったのは20年くらい前だろうか。車の運転はしないので高速道路すら利用したことがない。運転ができる人のご厚意で車でどこかを案内してもらったのは、思い出せないくらい昔の話だ。
この数日、何かを書こうと思えば政治の話などで暗くなり、昨日はついにブログを休んだ。暗い話題、こてこてとした話題、循環する話題、そんなのばかりだった。何も書けなかった。今日だってそれが解消されたわけではない。だがここに何かを書くことはわたしにとって存在証明に近い。休むのは、休んだという事実が自分に重くのしかかることが、あとになってつらくなる。日々何かを書きたいという意志と同じくらい、書かなかったことがきっかけとなって、過去の自分のつらさをのちに自分でふり返るような事態を、避けたいという思いがある。
いらいらするとき、不安なとき、生活や生き様に八方ふさがりのような閉塞感を覚えるとき、ひとつだけ気をつけていることがある。あのとき何が起こったからだ、あのとき誰それがこうしたからだと、そんな風に考えるのはよそうということだ。それはけっして事実ではないだろうしし、おそらくは責任転嫁。そしてなにかひとつかふたつのことに理由を押しつけられる程度の悩みや不安であるならば、所詮たいしたものではないだろう。考えるに値しないことだろうと思う。ならば最初からそんなことは考えまい。
今日も無事に終えた、明日はまた明日だと、そう思って夜を終えられることを、大切にしていきたいと思う。
いつか、ほんの数日でいいから、旅をしてみたいと思う。いまはそれを楽しみにしている。
(この画像は、写真ACのサイトから拾ってきてサイズを調整した、ストックホルムの風景)