1週間くらい前だっただろうか、流し読みしてしまったので詳細はすぐに書けないが、イギリスの大手菓子メーカー「キャドバリー」が、目玉商品のチョコバー「フルーツ&ナッツ」にサルタナ(レーズンの種類)を入れることにしたそうで、それを受けて一部の消費者から失望の声があるのだとか。
わたしにしてみれば、レーズンという大きな枠組みの中で、干し方が違うとか、何らかの加工方法が違うのが「サルタナ」だと思っていたから「なんでそんなもんでブーイングを…」と思うわけだが、人によってはサルタナのほうが一般的レーズンより格が低いという考えがあるらしい。100%入れ替えると言っているのでもないなら、別にいいじゃんと、わたしは密かに思っているのだが、もちろんイギリス人に知り合いがいたら、何も言わないでおくくらいの分別はある(笑)。
どうせ一般人には味がたいしてわからないだろうからとばかりに、あまり大々的に告知せず原材料を変更するメーカー(日本国内)の多さには腹が立つが、それを思えばイギリスの大きな企業が「サルタナを入れますよ」と言っているだけ、素晴らしいことだと思ってしまう。
わたしは上下セットで1080円のジャージでも気が乗れば買うし、普段の靴は980円のスニーカーだったりするが「みりん」と「みりん風調味料」は違うと思っているし、「ラクトアイス」と「アイスミルク」の区別もつくし、醤油は「丸大豆」か「醤油っぽい調味料」かも区別して考えているが、食材や料理については無関心でもインテリアに莫大なお金をつぎこむ人もいるかもしれない。ようするに、何に目が向いているかという問題だろう。
だが、自分で理由がよくわからない「これが好き」も、実はある。たとえばボディシャンプーよりも練り石鹸が圧倒的に好きだし(香りが気持ちよくて泡が立てばどちらでもいいはずなのだが…)、物を買うときに(状況が許すなら)奇数で買いたい。だんぜん奇数が好きである。
こういったことを、人が(自分以外の誰かの行為について)「こだわり」と表現するのはいっこうにかまわないのだが、自分や関係者の口から「こだわりの商品です」とか言い出すと、そっぽを向きたくなる。かなり安っぽく響くので、「こだわり」という言葉を自分の側に使うのは、どうかと感じる。