昨日は、ほんの少しの時間とはいえプロバイダのAsahi-netが落ちて、自分がつくづく、ネットに依存しているなぁと感じた。昼から午後2時過ぎまでは外出していたため気づくのに遅れたが、実際にはぜんぶで4時間以上のサービス停止(合計2回で計4時間半くらい)だったのだから、わたし以外の、ずっとつなごうとしていた人たちは、たいへんな思いだったに違いない。
なにせ、パソコンが使えなくなる。ネット接続が前提のソフトが多いし、外部につながっていて当たり前という感覚だからすぐ検索窓に手が伸びそうになる。文章を書こうにも必ず検索エンジンで言葉の使い方や情報の裏をとる癖がついているので、何も書けない。スマホならば自宅のWi-Fiが落ちていても(Wi-Fiを切る設定にしておけば)多少はネットが見られるが、見るだけでは困るのだ。必ずそれを見て何らかの作業(保存やシェアやコメントなど)をしたい。だが文字が打ちづらいので、わたしは家にいるときの「入力」に関しては、全面的にパソコンを重視している。
つまらないなぁと、つくづく感じた。つながっていないと何もできない。何をするか選べる通常の日々ならば読書は楽しいが、だからといって「ネットにつながらないから読書をしよう」という発想には、なかなかつながらない。
そしてまた、テレビそのものはともかくとして、暇つぶしのHuluもネット回線なので、見られない(笑)。そうなるともう、普通のテレビで録画でも見ればいいのに「ああ、Huluが見られない」と、そればかり気にしてしまう。
パソコンでしか読み書きできない設定にしているメルアドに急ぎの用事が来たらこれでアウトだなとか、いろいろなことを考える。かといってなんでもスマホに役割をまとめるつもりもないが、あって当然と思っているものが切れていると、こうも不便なのだと気づく。
これなら、もう、停電のときに困るのは「暗さ」ではなくて「充電できなくなる」のほうであり、おそらくほかにも、いま思いつかないようなITがらみの不便さが身にしみてくるであろうことは、想像するにあまりある(^^;。情けないことだが、それらは、そのときになってみないとわからないかもしれない。