驚いたことに、まったくの偶然ではあるが、ネット上で別々の知人からほぼ同時に「ネット上にあるデータをただ転がっているものとして利用し、自分の意見または作品であるかのごとく発表する」ということに対して、お怒りの声が流れてきた。事例のジャンルも、具体的な怒りの矛先も違うのだが、その点(やってもいないことを自分の手柄のように、ということへの憤り)は共通していて、興味深く拝見した。
見聞きした具体的な事例は書かずに済ませるが、だいたいにおいて、こういうことではないかと思う。
1. 実際に出かけていない場所を、ネット上でデータ(画像と文章)を集めて頭の中で再構築し、実際に出かけたかどうかは言及せずに、さらっとひとつのウェブページもしくは原稿を作ってしまう。
2. 自分の持っていきたい話の流れ(もしくは自分が売りたいと思っている商品)は決まっていて、その話の内容は自分たちの思う通りなのだが、大事なパーツとして使うデータや文章をネット上から無断で持ってきて流用。
3. 人の文章や画像、あるいはツイートや一般公開記事を集めてきて紹介するだけのサイト
わたしが考えるに、あきらかに1.と2.は犯罪である。捏造であり、偽装であり、パーツの盗用になるだろう。やってはいけないことだ。
3.は、せっかく書いた/描いたものをリンクで使われてパーツとして利用されることに、不信感や嫌な思いをする人がいることは確かだが、これは「法的には」問題にならない場合もある。もちろん、当事者を不愉快にさせない程度の礼儀をはらった上でのことであればなおよいが、法的には、ということである。
なぜかというと、あくまで最低限の条件を満たしていると考えてのことだが、独自に情報を集めてきて何かを掲載する場合、もしその編集方針などに特徴や独自性があればだが、編集著作物の概念があてはまる場合があるからだ。
その最低限の条件とは…
○ 引用元、出典を明記。
○ 自分のパソコン、掲載しているサイトがあるサーバに画像をいったん保存したのではなく、先方からのリンクが望ましい。先方が消せば中身も消えるという形式。もしどうしてもその形式ではなく、いったん保存しなければならない場合には、文面での合意が必要。
○ 自分のウェブページが「ひとさまの引用で成り立っている」と明示していること。読み手の勘違いの余地を、できるだけ少なくする努力が必要。
○ 適当にだらだらとリンクと引用を並べるのではなく、きちんとテーマに沿っているなどの工夫。
…これだけあれば、いちおう、問題はないのではないかと、わたし個人は考える。編集に独自性があり、出典がはっきりとしているのならば、編集したもの全体が編集著作物として認識されるはずだからだ。
ねんのために重ねて書くが「だからといって無断でというよりも、リンクで使わせていただきましたという程度の挨拶をすればいざこざが少ないのに」という考え方も、あるかと思う。とくに引用元が有名人ではなかったり、ネット慣れしていない場合には、ちょっとしたことで神経質になってしまうものだ。
わたしは「まとめサイト」が上記のように必ずリンクに基づいている場合であれば、さほど問題があると考えたことはない。まして出典がTwitterやFacebookなど「外部に埋め込み許可」を出せるSNS経由であれば、サイトの運営母体がそういう方針なのであるから、書き手側のほうが「許可しない」の設定をしなければならないはずだ。
(こういう前提がない個人サイト上でのものならば、引用元が引用を想定していないかもしれないと、引用する側が気を遣うなどの配慮があったほうが、人間関係として摩擦が少なめで済むかと思う)
話は少しずれるが、独自ドメイン等の個人サイト(無料サービス利用等ではなく書き手にほぼすべての決定権がある)の場合ならば、不本意な利用をされたとき多少は強く相手に抗議や不快であることの表明をしてもよいかと思うが、無料サービス利用の場合は(すでに上述した通り)、そのサービスの提供元の方針と自分の実際の思惑/設定が違うかもしれないことなども配慮した上で、まずは設定で外部から引用や画像リンクがされにくいように変更することなどが、必要になってくるかと思う。想定外の利用法をまったくされたくない場合には、知人ら以外と交流できないような方法でネットを楽しむしかないということだ。
また、大手のサイトに利用されて悔しい、不愉快という人がいらっしゃるのは想像できる。だがそれと同時に、ネット上のどこかで見た可愛い動物たちの画像を、どこでダウンロードしたのかも忘れてしまうほど大量にパソコンやスマホに入れて、不用意にネットに再アップロードしてしまう人が少なからずいることが、わたし個人はとても気になる。それらの人々は見た人々から「可愛いですね、ダウンロードしました」と言われて「はいどうぞ」と答えたりしている事例も数回だが目撃したし、実際には多いかもしれない。ご自分のものではない画像をばらまいている認識は、おありでない。悪意や商業利用の認識がない分だけ、一般利用者の意識の低さもまた、根深いものとなりかねない。
一声かけあって、法的にはどうであろうとも、気持ちよく利用することができたらよいのだが、これだけネット人口が多いと、なかなかもう、そんな丁寧な方向には話は向かわないのだろう。残念だが、それが現実だ。