2008年アメリカ映画。主演はジュリアン・ムーアだが、日本人の若手俳優ふたり(伊勢谷友介、木村佳乃)が、準主役級の扱いで出ている。
ある国(英語圏のどこかだが、ロケはカナダだろう)の風景から話ははじまる。
車の往来の激しい場所で、運転中の男性(伊勢谷)が突然、目の不調を訴える。あたりが真っ白で何も見えない。通りかかった見知らぬ人間に車を運転してもらい、妻と暮らすアパートに送り届けてもらった。
妻が帰宅し、眼科医の診察を受けさせるため連れ出そうとするが車がない。どうやら送り届けた男が奪ったようだった。タクシーで病院に行くふたり。ほどなく、車を奪った男、診察した眼科医、そして妻など、接触のあった人間から順に、波紋のように「白い闇」の恐怖がひろがっていく。
かつて精神病棟があったらしい古ぼけた建物に、感染が確認された人間たちが「放りこまれて」いく。かろうじてあるのはベッドと、日々送りこまれてくるらしい給食のようなパッケージ。だが着替えも薬も衛生的な配慮も何もない、ただの「建物」に、次々と人が押しこめられてくる。
最初のうちだけは、秩序があった…。
怖い話ではあるが、実際にこういう問題がおきたらあの程度の暴力と恐怖では済まないし、正視できないシーンがもっとあったはずだろうと思う。全体的に映像を「見ていられる程度には美しく」たもってもらえて、制作者側にはその配慮に感謝だ。
病気の正体がなんなのか、なぜ感染する人とそうではない人がいるのかといった、謎解きはいっさいない。そこに映画の本質はないためまったく気にならないのだが、最後まで見つづけると、すがすがしささえ覚える。
(これがもし、以前に書かせていただいたナイトシャマラン監督作品「ハプニング」のような映画だと、その無愛想加減が手抜きもしくは不良品に思えてきて、ふつふつと腹が立つのだ)
主人公の女性は、感染者たちと一緒に暮らしながらも白い闇に襲われることなく、同室の彼らを導いて、つねに生きる道、明日への道をひらこうとする。目が見えることをけして言いふらさず、その力を必要なときにだけ行使した。やがて彼女の周囲には、まるで家族のような人たちが集まってくる。
見て損はないのだが、ある意味で「夢に出そう」なほど重いテーマなので、神経質な人はご注意。