道はけっこう聞かれるほうではないかと思う。ところが、このところ「なんでiPhoneで検索して地図を見ながら説明してあげなかったんだろう」と、後悔する事例にゆきあたることも。
話しかけられた瞬間、ガラスの仮面の北島マヤが舞台で自己暗示をかけるシーンではないが「わたしは、じ・も・と・み・ん!」というモードになってしまうらしく、iPhoneなど「何かに頼る」という発想がなくなってしまうらしい。場所がわかっていても道を教えるときにまごつく場合はマップを見せたほうが早いし、今日のように、自分が知っている場所でも相手の言っていることと同一だとわからなかったとき、Siriに聞けばよかったと思う。
次こそ、次こそ、iPhoneを出そう。
今日のご高齢の女性は、わたしにまず「このあたりの方ですか」と、話しかけてきた。そこでもう「そう、わたしは地元民」というスイッチがはいってしまった(^^;。聞かれた内容は「このあたりにお寺はありますか」だった。そのあたりに寺がなかったことは実際に断言できるが、あとから気づいたことに関して、もっと親切にしてあげればよかったと後悔。
わたし「神社なら、あっちですけれど、あれは…(どう考えたってあれは神社で、近くにあるのも地蔵だし)…ええ、やっぱり神社ですね、お寺ではありません」
高齢女性「そうですか…いやぁ、郵便局のとこちょっと行ったら(ぶつぶつ)…って話だったのに…そうですか、ちょっと歩いてみます」
そもそも、郵便局のところを「ちょっと」ではない場所まで、その人は歩いてきていた。その点もちょっと気になったのだが、女性は去っていったし、実際に寺はないのだしと、わたしも歩き出した。
別れてしばらくして徒歩数分の場所で用事を済ませ、何気なく「なんでSiriに聞かなかったんだろう」と、気づいた。そこで「このあたりのお寺」と話しかけると、なんと、表示された検索結果によれば、ひとつ寺が近所にあることになっている。そのとたん、ひらめいた。
郵便局のすぐ裏の狭い路地を少し歩くと、どう見ても民家のような建物で、表札が「○○寺」になっている場所が、確かにあるのだ。何度か前を遠ったが、そのときどきに「これ、檀家の人たちのために名乗っているだけだよなぁ、ほんとにこの建物の中で、お寺の機能が果たせるのかな」と、思っていたことを思い出した。
あ〜、あのおばあさんは、まさか裏手の路地と思わず、大通りを歩きながら「寺らしいもの」を求めて、ずいぶんと長いこと進んだところで、わたしに話しかけてきたのだ。郵便局から、あの場所まで歩いてきてしまったと思うと、なんともお気の毒。けっきょく、たどり着けたのだろうか。
もう少し話を聞いてあげれば、そしてiPhoneでSiriを呼んでいれば、わたしはその寺のことを思い出すことができたはずだが。。。次からは、そうしよう。