去年は検査を受けるタイミングを逸して、今年はせめて担当医に自分から「予定があいている週はここです」とだけでも言っておこうと思っただけなのだが、先月それを口にしたとたんに、とんとん拍子に「5月17日の午前」と決まってしまった。1ヶ月以上も前から今日の早朝に飲む薬剤を手渡されていたことになるが、まあ、突然に決まるよりは、覚悟もできるというものか。
大腸ファイバー(内視鏡検査)は、おそらく10回くらいは経験していると思う。慣れていない方のために解説を兼ねて整理するなら、だいたいの流れはこうだ。
○ 前日は、食物繊維と脂肪の少ない食事を摂る
(たとえば野菜や固い物を避ける、例をあげるならカップスープならばクルトンなしで飲む)
○ 夕食を8時までには摂る
○ 夕食後1〜2時間したら、便をやわらかくする薬を飲む
○ 翌日の早朝から2時間くらいかけて、2リットル近い薬剤を飲み、こまめにトイレに行く
(薬剤には粉末を自分で溶かすもの、大量の錠剤を水かお茶で飲むもの、などがある)
○ 便が濁らずに透明になったら、病院に移動する
(色はあってもいいが、濁っていたら、病院に早めに出かけて相談すれば、少し余分に薬剤を出してもらえる)
わたしはこの数年、明け方にタクシーで病院に移動して病院内で薬剤を飲んでいたのだが、今年は義母がショートステイで留守にしている日を選んだので、家で薬剤を飲むことにした。これなら気兼ねなくトイレが使えるだけでなく、気も散らないし、ストレスも溜まらない。
予約時間に間に合うよう、タクシーを呼ぼうとしたのだが、雨のせいなのか捕まらない。家族がいろいろな方法(スマホアプリ、直接の電話)を試しても、まったく呼べない。けっきょく、呼ぶことだけで20分かかってしまい、そのあと道が混んでいてさらに時間も料金もかかってしまったが、病院には遅れる旨を連絡してあったので、問題なく受けつけてもらえた。それにわたしと同時間帯だったのであろう高齢男性が「便が濁っていて、まだできない」という騒ぎになっていたところに到着したので、遅れが出たのだとしてもわたしだけのせいではないと思うと安心できた。
さて、ようやく検査準備にとりかかる。
○ まず、専用の服に着替える
○ 看護師さんに、点滴の針を刺してもらう
(この点滴は生理食塩水か何かだろうが、作業途中で枝分かれした管の脇から麻酔を入れたり、麻酔を中和する液を足すことができるので、最初にまずは針を入れて、点滴を開始)
○ 作業台に横になり、今度は血圧と指にはめる酸素チェッカーを装着。数分に一度は血圧が自動で計測される
○ いよいよ、肛門周辺にキシロカインゼリー(だと思う、ようするに麻酔ジェル)を塗ってもらい、点滴にも弱い麻酔が加えられて、検査開始
○ 腸の奥の奥まで、カメラがぐいぐいはいっていく。ときどきわたしも体の向きを変えるように言われて、カメラを通過させ、最終的に胃のすぐ手前まで、カメラがはいる(はっきりいって痛みはなくても気持ちが悪い ^^;)
○ このあとは、カメラを抜きながら(引きながら)観察と撮影をしていく
○ カメラを移動させるときに腸壁に傷をつけないため、撮影するため、あるいは必要に応じてポリープを切除するなどの場合にそなえ、頻繁に腸内に空気が送られる。適宜その空気は抜かれている音がするが、やはり気持ちのよいものではなく、ずっと腹部が膨らんだ感じがする
○ ようやく終了
ここまで、カメラを入れて抜いていく作業は、血圧計にあった時計表示やその他の情報を総合すると、おそらく10分くらいだったのではないかと思う。
その後、機材を体から抜く際には医師が、少し時間を経過したあとは看護師が、腸内に残っているであろう空気が抜けやすいように処置(管がついた器具を挿入)をしてくれる。そのころには、血圧と酸素のチェックは外されるが、点滴は継続。点滴には麻酔を中和する薬剤が(途中の枝分かれした管から)注入されている。
さらに20分ほど、麻酔が中和されるタイミングと、気分が悪くないかどうかの確認のために別室で点滴を受ける。そして気分が悪くなければ、説明を受けて終了。会計をして帰宅できる。
4年か5年くらい前だったと思うが、検査の最中に腸内が温かくなったことがあった。わたしは「腸内をお湯で温めてくれているのかな、親切な医師だな」とか、勘違いをしたのだが、終了後に「ポリープが見つかったので、小さいからその場で切除した(焼き切った)」という説明を受けた。つまり、腹部が温かかったのは「焼き切った熱」だったわけで、お湯で温めてくれたわけではなかった(笑)。
運が悪いと、この検査中に腸壁が傷ついたり、穴が開いたりすることがあるそうだ。その場合は、程度にもよるが短期間の入院が必要になるらしい。とりあえず10回程度は経験しているわたしだが、いまのところ、検査後に無理をして体調を崩したことは1回しかないので、無理をしなければ、たいていの人は大丈夫だろうと、そう思う。