アーサー・C・クラークの作品が原作だというテレビ番組「Childhood’s End – 幼年期の終わり – 」というもの全6話(アメリカ放送時では2時間ずつ3話)をAXNで放送していた。SFは好きだし、主演のマイク・ヴォーゲルはなかなかテレビ画面に映えるし、見てみようかと。
今日、最後の6話を見たのだが…呆然。こ、これは、いったいこのストーリーから何を感じろと!?
だいたいのあらすじ。
あるとき、地球に大きな存在がやってくる。世界にあっというまに平和をもたらし、病気を根絶し、その代わり知的な作業(科学など)をもうつづける必要がないと説く、有無を言わせぬ存在だ。姿は現さないがその存在を世界の人々はオーバーロード(上帝)と呼んだ。
人の心をまとめるのがうまく、物怖じしない一般人の青年リッキーが、なぜかその上帝に気に入られる。彼は最初はさらわれるようにして、上帝と地球の人々の橋渡しを頼まれる。それを引き受けたところ、世界の人々は彼を「預言者」と呼んで崇拝した。自宅の農場周辺には支持者が大勢でやってきて、彼に上帝からの迎えがやってくるたびに驚喜する。
上帝が人に姿を見せないのには理由があり、見た目があまりにも「地球人に嫌われる」姿であった。数年のあいだ地球の人たちにじゅうぶん自分の影響力を理解してもらってから正体を見せようと上帝はリッキーに言った。そしてリッキーは使者の役割を終了し、上帝は人の前に姿を現した…
人々に安心とやすらぎを与え、競争心もなくさせ、老化すら止めてしまった上帝。視聴者としては「これでは人口が爆発する、食糧がまかなえない」と思うわけだが、作品の途中までは「そうか、争いもなくなったし、危険な地帯が減ったのだから、あちこちで農作物を作ればいいんだな」という程度に考えていた。だが今日の最終回を見て「あ、別に、いいのか、それが目的だったならば、食糧不足などは関係なかったんだ」と、やっと気づいた。
原作がどれだけ素晴らしいのかはわからない。この作品を見たあとでそれを読んでみたいとは思わないが、映像作品としては、こりゃちょっとなぁ…ストーリーに無理がありすぎる。
上帝の見た目がいかにも思わせぶり(子供が絵に描きそうな極端なほどの「悪魔」似)であること、中盤で出てくる「上帝のために廃れてしまった宗教」という設定のうち、とくにキリスト教とのからみ。ここで視聴者はおそらくキリスト教的に何かもう少し話題を展開させるのかと思うが、それはそこで終わり。さらに最後に近づくにつれ「上帝さん、あんたら実は中間管理職だったんかい」の、やるせなさ。
…これ、見終わっても、だからなんですかー、という気分にしかならない。
何かわたしは大事な部分を見落としたのだろうか。作中の時間は5話までで約20年、最後の6話で(地球時間的には)だいぶ進むが、こんなに時間をかける必要が、手続き的にも能力的にも上帝側にあったとは、ちょっと思えない。
まあいいや、考えようによっては、6話で終わってよかった。20話もある話で最後がこれだったら、時間を返せと思ってしまうかもしれないが(笑)。