先日「ねこ自身」というムックを見ていたとき、初めて「夜廻り猫」を見かけた。ほかにも猫に関する読み物や漫画は多く含まれていたので、変わった漫画だなと思って、そのときは終わりにした。
今日、withnews(ウィズニュース)で介護に関する夜廻り猫のエピソードを見かけて、ネットなどで連載しているらしいことを知った。絵としてはこんな感じである。
おやすみの方へ
(普通 もうおやすみですよね〜 pic.twitter.com/vZgF2NSGrX— 深谷かほる (@fukaya91) 2016年11月17日
人気作品らしく、書籍発売や、ぬいぐるみもあるのだそうだ。
今日たまたま見かけた介護の内容は、正直ちょっとつらかったのだが…(きれいにまとめすぎという印象)…。まあ、そういう「つらい、かわいそう、でもほんとうは優しくしてあげたい人なんだ」というまとめ方は、悪気はないとしても、ステレオタイプなものに人を追いこむ危険性もあると、当事者のはしくれとしては、書いておきたいと思う。
正直な話として、介護者がほんとうにつらいとき「施設があいてないかな」と考える、「年寄りだからいつかは死ぬ」ということに思いが向きやすくなる、あるいはもっと極端に「そろそろどうにかなっちゃってくれないかな」と嘆き、叫びたくなる、そんな、いろいろな人がいて当たり前なのである。だがそれを活字にすること、娯楽作品として表に出すことは、なかなかできない。それをやったらおそらく「冷たい」とか「あなたよりすごくたいへんな人が山ほどいるのに」とか、何を言われるだろうかと、それぞれの人が思うことだろう。
その点、逆は簡単なのだ。美談にする。きれいにまとめる。それらは読者が安心できるから、作れる。しかし心の内側のもやっとした部分を外に出さないで済ませることにすら苦労がある人間たちは、明るくきれいにまとめられた介護像が広がっていくことがもしあるなら、追い詰められた気分になるかもしれない。
少なくとも、今日の夜廻り猫(疲れていなかったらもっと優しくできると介護者が言う)、それから世の中で人気だったらしい「ペコロス」シリーズなどで、わたしが無気力になるのは「本音を吐きだす場や空気が、小さくなっていく」という思いからだ。
きれいなものじゃない——。愚痴も、つらい話も、きたない話も、いろいろある。
美談や、きれいなまとめ方を見たとき、その美しさの裏で自分の心が醜いかのような気分になる人が、きっといる。それだけは、心の片隅にでも、思い描いてくれる人がいてほしい。