田舎から東京に引っ越してきてすぐのころ、数年に一度は書店で手のひらサイズの都内地図を買っていた。ミニサイズの漢字辞典とともに、よく持ち歩いていた。手帳でも地図でも地下鉄乗り換えのページはとくに重要で、さして予定外の場所に出かける予定がなかった日がつづいても随所に持ち歩き、よく眺めていた。
地図を買わなくなったと思う。電車の時刻表も買わなくなった。どちらもネットに最新版があるからだ。おまけに遅延情報まで手にはいる。
そういえば、最後に腕時計を身につけていたのも、いつまでだったか。ちょうど会社員をやめて数年したころから、携帯電話を持ち歩くのが世の中で一般的になった。時間はいつも携帯を見ればわかった。
このところ、最後の最後まで抵抗を感じていた小説などの文庫本までをも、少しは電子書籍で買うようになった。それより数年早く、英語で読む参考資料や語学教材などに関しては、電子書籍で買ったものもある。それらはおもに「紙で買うととても高い、もしくは国内在庫が少ないなどで入手まで日数がかかりすぎる」などの理由だったが、そのうち在庫や日数などの具体的な事案がなくても、電子書籍で購入することが増えてくるかもしれない。かさばらないのは、ほんとうにいいことだと思う。
ただ、料理関係など「画像が多く説明が少ない本」については、この10年ほどで一生分ほど買ったかもしれないから今後については不明であるものの、もし引きつづき買うとしても、活字の本にするかもしれない。モバイル端末では拡大やスクロールがたいへんで、文字を探すのがたいへんそうな予感があるためだ。
そういえばもっと早くから、さしたるこだわりもなく紙を捨てていたのは、写真だ。写真撮影が昔から好きだったが、最後に(コンビニでの印刷も含めて)紙にプリントしたのが10年くらい前だったと思う。もはや電子データとしてしか写真は持っていない。いつかパソコンやクラウドに何かあって、データが取り出せなくなっても、紙にしたところでこれまでの人生で立派にアルバム整理をしたことがないのだから(その時々に仲間同士で見て終わりにしていた)、さほどショックな思いをすることもないだろうと思う。
紙媒体から少しずつ離れていくのであろう自分を感じている。だが同時に、文庫サイズの地図を飽きもせずめくっていたときの指の感触、嗅覚に刻まれたあの匂いは、今後の人生で改めて体験することはきわめてまれな、あの当時ならではの喜びだったと、なつかしく思う。