どこの誰とはあえて書かないが、よその国の新大統領がボキャ貧である事態を笑えない、ゆゆしき状況である。答弁のメモとして事務方から回ってきたであろう言葉「訂正云々(うんぬん)」を、国会で「でんでん」と読んだ人がいるのだ。
わたしが記憶するかぎり数十年において、政治家は教育を受けている(あるいはそう思われる)人がほとんどだった。難しい言葉をいたずらに振り回すのは逆効果であるが、言葉や文章に適度にさらりと難しい語彙を「自分の判断で」織り交ぜて、使いこなしていくのが政治家の常であったように思う。お側付から回されてきたメモを見て誤読するとは、それだけでかなり情けない事態だ。
だが現在の日本では、たいへん困ったことに、これがまかり通ってしまっている。そして大の大人に対して「あなたの日本語は恥ずかしいですよ」と指摘することのほうが恥ずかしい…という風潮が、以前にも増して強まってきている。品格を保ったまま相手に伝えることはとても難しい。指摘した側を下品であり許されない存在と見なす風潮が(あるいはそれは風潮があってもなくても本来たいへん配慮と工夫を要すべき事柄ではあるが)強まっている。なんでもすぐ「ウヨ」か「サヨ」といった分類になってしまい、ウヨはサヨの話を聞かない、逆もまたしかり。
品格をたもった大人そして社会人として、国民から選ばれた政治家として、国会議員のみなさんはぜひ基本に立ち返っていただきたい。いまの国会中継は、長く注視していられない。下品である。