このブログは、この場所に書くようになってから10年以上になるかと思う。以前は月に数回程度は休んでいた。あまり休まなかった年もあるが、数年前から去年の前半くらいにかけては、記事掲載の日付が飛び飛びになることも、けっこうあった。
だが、おそらく去年の11月くらいからだが、わたしはここを休んでいない。もしかするとブログの日付を書き間違えて飛び飛びになってしまったことがあるかもしれないが、実質的には、休んでいない。
たしか去年の11月初旬ころに「あること」をはじめた。
それに力を入れるのならばブログを休むのは本末転倒だと考えた。その「あること」は、残念ながら数ヶ月後にペースが落ち、現在はほとんどおこなっていない。熱意を持って、手探りで開始したことが実を結びそうにないことへの、気持ちの空回り。そして、やがて実感した挫折に近いむなしさ。それらへの反動から、「このブログだけは、意地でも休みたくない」と考えるようになった。
石の上にも三年というが、このブログのように同じ場所に10年以上書いているというのは、本人としても読んでくださる側にとっても、付け焼き刃では得られない、そしてもちろんカネでは得られない、安定感や信頼感を、醸し出すのではないかと考えている。最近なにやら、根拠がはっきりしないものの、このブログに関しては自分に自信が出てきた。
訪れた人がとても古い記事を読んでくださったとわかると、自分も「そんなタイトルの記事で何を書いたのだろう」とクリックし、一緒になって読んでしまう。なかなかうまいこと書いているなと感じる記事もある——そうでない記事も、もちろんあるが。
自分について嘘は書かない、話は盛らない、その気持ちだけは、変わっていないと、実感できる。
もうひとつ、わたしはこの夏に、別の挫折をした。
バウムクーヘンの記事を書く新天地としてnote.comを選んだのだが、1ヶ月ほどしゃにむに書いたというのに、その後に発覚したnoteの不祥事と、それにもまして対応のまずさがどうしても許せず、気持ちが離れてしまった。その約1ヶ月のあいだに自分が熱意を傾けて書いた内容、費やした時間、そして増えつつあったバーチャルな知人のみなさんらの、すべてが愛おしい。だがもう、書く気になれない。
わたしには、ここやほかのブログ、自前の掲示板があり、大手のSNSなど、ものを書ける場所は複数用意してある。仮にどれかが居心地悪くなっても、ほかを使っているうちに気が紛れるし、様子を見ることもできる。
わたしは自分で、10年ちょっとかけて、自分のいられる場所をネット上に作ったのだ。木造でも鉄筋でもなく文字を紡いで、自分の家を用意した。
いつかは急用で休むこともあるだろうが、この場所を自分の居場所であり本拠地と考えながら、くつろいで過ごしたい。