子供のころに、暗記するほど読んでいた本をAmazonで見つけて、購入したのが最近。
童心社「むかしむかし」という、こちらの本。
P.132からはじまる「したきりすずめ」で、すずめに謝ろうとして歩いているおじいさんが、うまあらいの人を見つけ、道を尋ねる。すると相手が「このうまのあらいしるを、七おけながらのんだら、おしえてやろう」と答える。え…なんですかそれ、罰ゲームにしても意味不明すぎ。だいたいこの人はすずめの家族でもないだろうし、おじいさんを困らせる理由はないはず。からかうにもほどがある。
…しかも「七おけ(おけに強調の傍点)ながら飲む」の、ながらは、なんだろう。
まずは子供心に、「ながら飲む」という単語があるのかと考えた。あるいは「七おけながら、飲む」だとしたら、「七おけ”ながら”ってなんだよ」と。
誤植や著者の書き間違いでない証拠に、おじいさんが馬の洗い汁を飲んだあと(←うぇぇ〜っ)、うまあらいは「むこうのうしあらいどんに聞いて」と言う。またうしあらいどんは「うしのあらいしるを、七おけながらのんだら」と返す。おじいさんは、また飲む。
…この「ながらはどこにかかるんだよ問題」は、読んでから何十年も経過していたものの、やはり現在も引っかかっていた。記憶違いでないことを確認してからネットで検索したが、別にそんな方言はなさそうだった。仕方がないので新明解の辞書アプリに頼ると、古い言い回しとして最後に注釈が。
> 「その同類が、そろってそのまま同じ状態にあることを表す」意の古風な表現。「兄弟三人——(=とも)政治家になった」
けっきょく、これなのだろうか?
あるいは「小学生ながら大学卒業資格を得た」などの場合の「ながら」だろうか。普通は無理だろうけれどないとは言い切れないというときの「ながら」…ということか?
それにしても、うまあらいどん、うしあらいどんは、自分たちがすずめの敵討ちをしているわけでもないのに、謝りに来たおじいさんに、七おけは無理だろうけど飲んでみたら教えてやるよというのは、あまりに人間としてふざけている。
で、こんなふざけている話なのに、それに対する説明がなく話は進み、そして終わる。
昔話とは、不可解である。