小学校高学年くらいだったのではと思う。何か学校の催しがあって、そこで演劇をすることになった。みんなで図書室に集まり「これにしよう」と決めた題目が、ストーンスープ。ご存知の方も多いだろうが、まったく具材を持っていない兵隊たちが村人から食材をもらってスープにする話で、最初は「石のスープを作るんです」と、周囲を煙に巻く。
村人たちは「なぜ石でスープができるんだろう」と見ているうち、兵隊たちの「ああ、塩があったらなぁ、それに卵があったらなぁ、もっともっと美味しくなるのに」やら、さまざまなことをつぶやく。村人たちがそれを持ってくる。最後には村人たちが提供してくれた食材で満腹になって村を去るというものだ。
さて、その話に決めたのち、みんなで読み合わせをしていると、途中に歌が出てきた。合唱するものだが、小学校高学年の子供たちは楽譜など読めない。週に1回ほど音楽の先生の授業があったが、本を決めてからその授業の日まで、1週間近くあった。
そこで、誰かが口ずさんだ適当なメロディーで、みんなが歌いはじめてしまった。いま思えば歌としてどうかと思うようなものだったが、それでもみんな、それで覚えてしまった。
ようやく音楽の先生の日がやってきた。その教師は、小学校教師のためすべての授業を受け持つものの、音楽がとくに専門の人であり、授業のレベルも、そして生徒に「これくらいできるでしょ」と考えているであろう要求度も高かった。楽譜を読めない子供たちが「こうだと思うんです」と適当に歌うのを、笑うでもなく聞こえていないかのように「これが正解」と、まったく違うものを教えてくれた。何度も何度も伴奏し、これで歌って、と。
衝撃を受ける子供ら一同。だが教師はほれほれと、ずっと歌わせた。
授業が終わり、子供らで「すごかったね〜、ぜんぜんいままでのと違ったね」と語り合った。中には、自分たちが慣れ親しんだものに未練を感じている子供もいたと思われる。
帰宅して、親にこの話をした。「ぜんぜん違ったんだよっ」と語るわたしに、親が言った。「歌ってみて」
…そこで気づいた。音がまったく出てこない。授業の前まで歌っていた自分たちの音しか頭に浮かばない。いったいなぜだろう。
ランドセルを置いたら遊びに出る当時の習慣の通り、近所に出てわたしは同級生に尋ねた。するとその子も「あれ、忘れた。出てこない」
もうひとりも「あれ、出てこない」
翌日学校に行って、覚えていない子が何人もいるという話になると、実際には覚えているのに言い出しづらかった子もいたのかもしれないが、けっこうな人数が「忘れた、なんで!?」と騒ぎ出した。
その次の音楽の曜日まで、子供たちは「これはほんとの歌じゃないけど、練習のとき、歌がないと調子くるっちゃうからね」と、遠慮がちに最初の歌を歌った。だが心のどこかに「これはほんとの歌じゃない」という気持ちがあって、もう盛り上がることはなかった。
次の音楽の日。朝になって、急に正しい音をわたしは思い出した。学校に行く途中で友達の何人かに「なんか思い出した気がする」と告げたが「どうせ今日は音楽の授業でまた教えてもらうし」と、さめた返事がほとんどだった。
そして音楽の授業の冒頭、その「音楽ひと筋のオーラが出ているでしょ教師」は、開口一番「あんたたち、忘れたんだってね、先週の曲」と言ったものの、また前回と同様、何度も伴奏してくれた。
そしてストーンスープの演劇は、その後とくに問題なく終了した。
数十年を経て、わたしがきちんと思い出せるのは、正しい旋律のほうだけである。友達と歌った最初のものは、頭の部分だけしか思い出せない。