誘致が決まった段階から「せめて10月くらいに変更しなければ、観客や選手の体調不良や、(へたをすれば熱中症で)死者がでる」と指摘されても、組織委員会や政府はアメリカのスポンサー重視のため期日の延期希望すら出さず、その後に何度の不祥事があっても、誰も自ら進んで責任はとらず、昨今のように自分たちの人選ミスに言い訳だけは徹底し、利益があると考える相手には相変わらず忖度する——こんなことだらけの、オリンピックにはうんざりである。
なかでも、もう絶望的だと思わされたのが、今日だ。オリンピックとは無関係となり役職についていない森元首相が、無観客のはずのソフトボールの試合を観戦したという。2021.07.22 東京新聞 → 森元首相、どんな権限で五輪観戦?ソフトボール無観客試合
東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子現会長は、前会長の森氏がなぜ観戦したか、いかなる理由と入場手段(関係者用のパスはもらえないはず)でそれが可能だったかに、答えなかった。
説明する必要がないということなのだろう。
それで、通ると思っているのだ。
これを許すわけにはいかない。限度がある。これをさらに追及せねば、この先またいかなることにおいても「特例については、報道陣や一般人にはすべてを話す必要がない」という悪しき前例として、塗り重ねられていくことになる。すでにして、悪しき前例だらけではないか。いい加減にしないか。
無理やり作られようとしてる「感動」などというもので、人は元気にはならない。逆に、こうしてひとつひとつの事例で麻痺させられていく一般人の心は、この先ずっと停滞していく。希望などない。この先にあるのは民主主義ではなくて「オカミの考え次第」なのだろうと、何度も何度も、泥沼に足をとられていく気分だ。
怒りすら、無気力に感じさせるほどの横暴。
このところ何年もずっとおかしいことがまかり通ってきたが、民主主義が力を取りもどすためにも、見えていないふりをするわけにはいかない。