かなり前に人から聞いた話で、詳細は忘れてしまった。
おそらくアメリカでのことだっただろうか。日本人のグループがカフェに立ち寄った。従業員が足らないのか、客が去ったあとも雑然とトレイが置かれたままのテーブルがちらほらあった。見ていてちょっとだらしないなと思う気持ちと、人が足らないならせめて自分たちが店を出るときには、自分たちのトレイくらいは下げていこうという気持ちがあったらしい。
だがその話をしはじめると、現地暮らしが長い人に止められたという。
客がそんなことをしてしまったら、従業員が足らなくてもなんとかなるものだと、経営者が勘違いをする。人が増えなければ店はよけいに大変になるのだから、そんなことをしても誰のためにもならない、と。
永遠にその店でボランティアをするつもりでもないのならば、いっときの思いで、自分のトレイを下げたりしてはいけないのだ。
それを聞いたときは、なるほどと考えたのみだった。
だがいま、思う。国民に自粛と自助努力を強いている政府、そしてなかば無意識に、それに応えようとしているまじめな人々。できることから協力しようという善意と良識が、最終的には政府につけ込まれ、食い物にされているということは、ないだろうか。
政府にどれほど無茶振りをされても、なんとかがんばって現場を維持しようと努力を重ねる病院や医療関係者のご苦労を思うと、とても苦しい。立場上ストライキなどできはしないのだろうが、職場放棄、職務放棄をするわけがないと相手は踏んでいるのだ。なんとか持ちこたえるだろう、と。
一緒に全員がつらい思いをしているのならば助け合いという考え方もあろうが、政府はオリンピックでお祭り騒ぎをしておきながら、国民には外出自粛を説いている。現実的ではないし、国民をばかにしている。
状況を改善するための時間は1年半もあったのに、実際のところ何もせず、ついに重症者以外は自宅で療養という方針を打ち出してきたという(jiji.com 2021.08.02 重症者以外は自宅療養が基本 感染急増地域で適用―政府)。ばかも休み休み言ってもらいたい。
いま医療現場に、「政府がつけあがるから努力するな」と言いたいのではない。そんなことはもちろん言えない。だが、一般の個々人がなすべき努力とは、この先に何があっても雰囲気にごまかされず、衆院選の投票日まで政権への怒りを持続させておくことに尽きる。そして、他党に票を投じることである。
現政権与党には、必ず退場していただく。その思いを強く胸にいだいている。