何年つづけていたかわからないほどのパン酵母(小麦由来)を捨てたのが、8月上旬。捨てる決意をしたのが8月5日だったが、その数日後にようやく「えいっ」と捨てた。
もちろん、理由は、ある。
パン酵母というのは、つづけていくと「わーい何年ものだ〜」という自己満足にはなっても、質が落ちたときに苦行となって、自分の身に返ってくる。つまり、元気がなくなってまずくなったとき、酵母の元気をとりもどすために連続して何回も「まずいパン」を食べなければいけなくなるのだ。短期間に何回か焼いているうちに酵母が元気になればそれでいいが、なかなか不調から抜け出せなければ「なんでパン酵母をつなぐためにまずいものを食べるのか」という話になる。
その際、ごく一部を手元に残して酵母の大半を捨ててしまえるのであれば、苦行は必要ない。少量の(まずくなりかけた)パン酵母を何回か使ってよみがえらせれば、早く幸せな日々が来るのだ。だが「まずくなったくらいで、小麦粉を捨てるなんて」という、昭和後半生まれのモッタイナイ根性が顔を出し、まずい酵母をできるだけ捨てずにそのまま全体を生き返らせようとして、これまで数年のあいだ、何かの拍子にまずいパンを焼いてきた。
何年も同じ酵母をつないでいく(小麦と水と塩)というのは、わたしが勝手に「すごい」と思いたいためだけの自己満足だ。だが実際には季節の果物のあまりや、余ったドライフルーツを使って容器に水と一緒に入れておけば、数日後にはよい酵母がとれて、かなり勢いがあり美味なパンが頻繁に焼ける。そのほうがぜったいにお得であり、ストレスも溜まらず、しかも楽しい。
酵母を液としてしぼっておいて、パンを焼きたくなったっら、こねる前の日に、その液と、水と小麦と微量の塩を、何回かにわけてきれいな容器で混ぜていく。そしてこの季節なら1日くらいで発酵種が膨らむので、その日(または翌日に)それを使ってパンをこね、半日以上寝かせてから焼く。
これまで何度か「小麦酵母、捨てて新しくやり直したい」と思ったことがある。あるいは「小麦酵母をやめてしまい、たまにドライフルーツなどで酵母を起こしたい」とも。
だが「何年もつないできたのに、この瓶の中の酵母は水と塩と小麦粉でできているのに。自分のミスでまずくなったものを捨ててしまうなんて、そんなことしていいと思っているのか」と。。。別に誰が叱りつけるわけでもないのに、自分にまずいパンを食べるという苦行を課してきた。わたしはまだいいが、家族などはよく付き合ってきてくれたものだ。
やり直したいと考えるたび「原発じゃあるまいし、捨てねば」と自分に言いきかせた。だが踏ん切りがつかなかった。
事故があったら危険だし、再処理なんかできやしないし、常識的に考えればさったとやめりゃいいのにと思える原発を、おそらくは「これまで長い期間の投資をしたから」、「自分がやめた人間と言われたくないから」などのくだらない理由により、動こうとしない政府。それをばかだと思いながらも、それでも自分は、容器に入れていたパン酵母が、捨てられなかった。
踏ん切りがつかない自分に「これじゃ政府と同じアホではないか。やりなおそう」と言いきかせ…何年ものかわからないが、冷蔵庫に寝かせていた小麦酵母のボトルを捨てた。
これからも、自分を説得するときに「政府と同じでいいのか」という文句は使えそうである。
そしてこのところ、快適にパンが焼けている。