ネットで「○○さん(名字)の由来と、全国の人数」などを紹介しているサイトがいくつかあるが、そういえば母方の名字は人数が少ないのではと、入力を試してみた。
すると、全国で100人くらいしかおらず、しかも大半が母の出身町に集中しているという。これはびっくりである。
子供のころに聞かされた話を、いまさらながら思い出した。
地元でもちょっとその地域から離れただけで、めずらしく感じられる名字だったらしい。母が若かったころには、当時でも現代でもあってはならないことだが、その名字を被差別地域のもの(だからほかの人が知らない)のではないかと、わざわざ詮索してまわった人がいたそうだ。話をしてくれたのはだいぶあとだが、それでも母はかなり憤っていた。
話は変わるが、今年の9月10日のBBCニュースによると、オランダのハーグで名字変更の手続きが(場合によっては)無料になるとの発表があった。‘I’ll be at front of queue to change my slave name’
これは奴隷制度がようやく崩壊するころ、当時の所有者らが適当かつ不適切に、あだ名のような名字を元奴隷に押しつけたことにより、長い間その名字を法的に正式なものとして引き継いできたアフリカ系の人々がいること、そして彼らが少しでも名字を変えやすくするようにとの配慮だそうだ。これまでは手数料が高かったが、そうした事情の人たちには無料になるという。
日本においては、名字はもって生まれたものを引き継ぐことが大半であり、さらに婚姻を機に96%の女性が男性側のものを使用することがあるとされている。なかには消えていく名字もあるだろうし、事情で変更したくても、特別な手続きをとらなければ使いつづけるしかない事例もある。あるいは結婚を機に「重ね名字」などを新設したい人もいるかもしれない。
こういう話をしていると、どうしても「名字=家」という発想になってしまいがちではあるし、なかなか薄れない家制度を擁護しつづける話にもなってしまうが、別姓、事情による変更、婚姻などによる新設など、もっと柔軟に対応していける世の中であれば、暮らしやすいと考えている。