検索してみたところ、このふたつ「号泣」と「ダイエット」は、10年以上書いているこのブログで1回ずつしか登場していない。いずれも今回と同じ「誤用」の話だった。
号泣は “感極まって、ぼろぼろ泣く” 意味ではない。「声を上げて泣く」ことである。衝撃や心の痛みにより、体の内側から突き上げるように声を上げて泣くことであって、けっして「家族からサプライズでプレゼントをもらい、号泣した」は、ないのである。
個人がブログなどでそう書くことは別に問題ないし、目くじらを立てるつもりもない。だがその「個人」が、なかば公的な人、あるいは聡明で知られる著名人などの場合は、幻滅してしまうこともある。もちろんオンラインのメディアで固い部類のもの(たとえば一般の新聞)がこの「号泣」を使うのも、いらいらする。放っておいても誤解は定着していくであろうに、わざわざ影響力の高い存在がそれを使って、時期を早めることもないだろうと考えてしまう。
ダイエットも、運動などを含めてあらゆる方法で「体重を減らす」ことだという誤解が深まり、ジョギングでダイエットなどという奇妙な表現がそこかしこに見られる。動詞ならば、適切な食事で体調を整えること(その結果として体重が減ることもある)が本来の意味、名詞ならば「食事療法」だ。もはや、雑誌はもちろん、ときおり一般紙でも「痩せる」として使っている。
イライラするが、個人では抵抗できることではないので、こちらが慣れるしかないのだろう。