30年くらい前になるが、間接的な知り合いに英単語をいくつか教えてくれと頼まれたことがある。用途は、とてもシンプルな単語をいくつか、名刺の隅にメッセージとして刷りたいと上司が言っている、というものだった。
世の中に不可欠で、シンプルな単語をというご希望だったため、教えた単語のうちひとつが、oxygen(酸素)だった。
しばらくして、上司がお礼を言いたいとのことで珈琲でもいかがかと誘われた。その間接的な知人ですら数回しか会ったことがないのに、その上司といったらさらに話が合わないだろうからと「いくつか単語を教えただけですから、いいです」と固辞。ところがそのことで上司という人が意地にでもなってしまったのか、どうしてもという話に。
けっきょく、ちょっとした手土産まで持参で、当時わたしが勤めていた会社近くまでふたりがやってくることになった。
そこで、わたしの知っている店が混んでいたので、まったく知らないカフェバーのようなところに連れていったわけだが…。
話はいつのまにか「単語を発音してください」になってしまった。oxygen(酸素)がとくに難しかったらしく「もう一回お願いします」とせがまれ、静かなカフェバーで、oxygenを複数回。自分はいったい何をしているのだろうと、不思議な気分になった。
その日に何か飲食した料金のほか、持参の手土産をもらった。それ以降はふたりにご縁がなかったが、あまりない体験だったと、いまにして思う。
oxygenは、ほかのたいていの英単語がそうであるように、カタカナではうまく表現できない。オクシジェンでもアクシジェンでもなく、オよりもややアに近い音につづいてクスィジェンのような雰囲気。この冒頭の母音がオなのかアなのかがわからず、発音を何度も確認したかったのだろう。
それにしても、人間の記憶の引き出しとは、いつどんなときに開くものなのかわからない。
夜にパソコンの画面を見ていたら急にこのことを思い出した。いったい何が引き金だったのだろうか。不思議なこともあるものだ。