阿弥陀仏の略としての「陀仏」はありがたい存在だが、お陀仏といった具合に「お」が付くと、命がなくなる、または失敗品という意味になる。
そして「釈迦」はありがたいが、やはり「お」が付いて「お釈迦」という言葉になると、同じように「だめになる」とか、使い物にならないという意味になる。
このふたつは使われ方が似ているのだが、なぜか「お陀仏」は他動詞的に使えない。自動詞または名詞だ。「お陀仏にする」という表現がないためだ。
お釈迦の語源はgoo辞書によると「阿弥陀を鋳るつもりが釈迦を鋳ってしまった」という話に由来するらしいのだが、もし逆をやってしまう例もあったならば、いまごろ両方が他動詞として使われていた可能性も、あったのかもしれない。
とにかくわたしは、まだ「お陀仏にする」を聞いたことがない。