社会人になったばかりのころ。
まだ世の中の仕組みがのみこめておらず、取引先の社内にいる「こんなに現場のことがよくわかっていて、こちらが “あとで書類を出しますが、こんな感じです” と言ったことを本人よりよく覚えていてサポートしてくれる人たち」が、現場を知らない事務方に仕切られているのは納得いかないな、と感じたことがある。もちろんこちらも大きな内容は事務方にお願いして話を通すのだが、ちょっとしたことは、わたしのうっかりを先方の現場の方々がすくってくださったことなど、数知れない。
現場を知っているからといって仕切る側に回るとは限らないのが、世の中だ。いまはそれを認識している。だが、それを認識していることと、納得しているかどうかは別の話だ。
吉野家の役員が大学主催のセミナーで、とんでもない暴言を発したという。リンクは張らないが「吉野家 早稲田 シャブ漬け」あたりで検索していただきたい。
感じられるのは、その会社の現場をまったく知らずに、あちこちの企業で「上のほう」を歴任してきた人物というのが、売り上げ数字しか見ないで人生を送ってしまえるという事実だ。
自分の会社を理解し、現場を知っていれば、うまいものの味をすでに覚えてしまったら、女性がそのあとでハマることのない味(その程度の存在が自社の牛丼)であるとか、女性社員もいるであろうに、女は男にうまいメシをおごってもらう存在であるとか、そんな前提はそもそも存在しない。そもそも自分の会社の話で「シャブ漬け」とは何事か。
学歴ある人物が上に来るべきといった慣習やいろいろな事情は、一社だけがどうこうできるものではないが、このまま「現場は現場、上は上」というのをさらけ出してもなんとも思わない企業が目につけば、世の中が腐っているような気がしてならない。学歴などはともかく現場を理解した人が「ある程度の地位」にまで行けるようにすべきだろうという思いが、自分のなかで、ふたたび強くなってきている。