公開当時に話題になったアメリカ映画。内容がつらそうだったので後まわしにしていたが、どこかで放映されたときに家族が録画してくれていたので、見てみた。 (配信ならばAmazonにもある→ 2022年5月現在 399円)
30歳の誕生日を迎える女性カサンドラ(通称キャシー)を、キャリー・マリガンが演じる。コーヒーショップで働くが愛想はかけらもなく、いつも疲れた表情の彼女は、夜になるとバーに出かけ、泥酔したふりで男たちに自分を狙わせる。そしてここぞというときにしらふであることを告げて罵倒し、鬱憤を晴らすという日々を送る。
彼女がそんなことをするのには理由があった。かつて大切な人がいて、自分にも生きがいがあった。だがそれらはすべて失われた。そして原因になった奴らは世の中をうまく渡っている。
あるとき、その「過去」と彼女とのあいだに、接点が生じた。過去をより深く追求して関係者を苦しめることもできたが、そんなことをせずに前を向けと助言してくれる人、そして自分が立ち直るのを待ってくれている家族のため、幸せになる道を選ぼうとする。
だが、過去はさらに牙をむいてきた。彼女はある決意をする。
…これは、話の出来としてもすばらしい。終わりが明るい話でもなく、溜飲が下がるような勧善懲悪でもなく——だが、いるいる、こういう「うまいこと世の中を渡っているやつ、いるよ」という現実社会での暗さが、みょうにしっくりくる。あえてこの終わり方を選んだのは、脚本と監督の力量だろう。
書くまでもないことだが、話はアメリカで実際に起きた若者による性犯罪にも着想を得た内容だ。たとえば女性側の被害内容ははっきりしているのだが、裁判官に「若くて将来がある男の子に厳しくできない」という考えがあり量刑が軽すぎて社会問題になった事例、あるいは学生時代に性被害に遭ったと証言した女性が複数名乗り出たものの、現在は最高裁判事のひとりになっている男性の件など。
それらの事例では「それくらいのことで将来ある男性が」という意識が強く表に出されたため、あえてこの映画では「将来ある若い女性」を意味するタイトルが取られたのだろう。
その「将来ある若い女性」であったはずの主人公が映画でどんな目に遭うか、お時間のある方はぜひ。