「語学はやり直せる!」 – 黒田龍之助

 この1年近くはDuolingoでロシア語を含む外国語を学んでいるが(現在10カ国語目)、それ以前にロシア語を学ぼうと思った時期に、黒田龍之助の著作を2冊くらいは持っていたように思う。
 氏はロシア語をはじめとするスラブ語の大家であるのみならず、諸外国語に明るく著作も多いのだ。その買ったうちの1冊はハードカバーで見栄えのよいものだったと思うが、ものの見事に積んだままで、ほぼまったく読んでいない。どこに埋まっているのかもすぐには思い出せない。

 以下の画像はAmazonから。
「語学はやり直せる!」

 タイトルのことはあまり考えずに、たまたまKindle Unlimitedにあったために読んだ。つらつら読み進められる軽いエッセイである。

 読みはじめてから、あれ、と思った。著者のお名前が龍之助さんであることでご高齢と勘違いしていたため「自分と同じような話を知ってるなぁ、なぜだ」と驚いたのだ。そこでねんのために検索したら同年代であった。失礼した。なぜいままで気づかなかったのか。

 これから外国語に触れる若い世代や、外国語といえば英語一辺倒の感覚を持つ層を読者として想定しておらず、年齢が高めであり、楽しみや心の栄養のような意味で語学に親しむ層を念頭に置いている。だがそんなのんびりしたタイトルではパンチが弱いために「やり直せる」という表現にしたのだろう(その判断は編集者だろうけれども)。

 外国の人が山ほどいるパーティ会場に出かける予定もないのに、こうして10カ国語を嬉々として楽しんでいるわたしのような人間にとって、こういうのんびりしたエッセイは読んでいて心地よい。

 日本にいれば草花を無頓着に踏んづけるような暮らしを送る人々が、用事で外国に到着した途端に「この木はなんでしょうか」と通訳に質問したがる…という話に笑った。あるある、そういうことは実にある。
 語彙が多くとも、文化背景に強かろうとも、発音が悪い教師は低く見られてしまうそうである。発音だけはとにかくちゃんとやったほうがいい、ということだった。わかる。

 現在のように教材が豊富で学ぶ手段も格段に増えた世の中では、かえって学習手段に迷ってしまうし怪しい教材にも飛びついてしまいかねないが、信頼できる資料や教材を見つけてそれを反復し、身につくまで何度でも読んだり発音を訓練するという方法でずっと学んで来た著者は、完全にはインターネットを信頼しておらず、本書ではテクノロジー系での話題はあまり出てこない。だがそれがまたレトロな雰囲気を醸しだし、読みやすさにもつながっている。

投稿者: mikimaru

2021年現在「バウムの書」、「お菓子屋さん応援サイトmikimarche」などのサイト運営に、力を入れています。 かつててのひら怪談というシリーズに参加していたアマチュア物書き、いちおう製菓衛生師の資格を持っています。 バウムクーヘン関連や、昔からの知人には、「ちぇり」もしくは 「ちぇり/mikimaru」を名乗っています。

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