30年くらい前から、いつ実現してもいいはずと考えてきた夫婦別姓。ずっとそれを待って生きてきた。だが年を追うごとにむしろ話題は後退しているようにすら感じられ、当事者としては閉塞感や生きづらさが増してきている。
以前なら1年または数ヶ月かに一度のイラつきで済んでいた「自分の本来の名前が名乗れない」という悔しさが、このところ頻度が高くなってきている。そのたびに投げやりな気持ちになったり、あるいはとんでもないことを考えたりもする。もう気持ちが限界である——いや、すでに限界を超えているかもしれない。
数年前に開始された住民票等への「旧氏併記」だが、役に立ったことは一度もない。何かあったときの保険として(たとえば荷物の受け取り等でトラブルが発生した場合にそなえて)申請したし、現在はマイナンバーカードにも併記されているが、実生活で自分が望むような、期待したような用途で役に立ったことは、一度もない。
総務省のリーフレットからの判断や、区役所での口頭の案内では、最初から「どういう風に運用されるかは(旧姓併記を見た企業等の)個々の判断になります」と説明を受けていたのは事実。だが「ここまで役立たず」とは、予想以上だった。これまでメールでの相談窓口を通じた企業等とのやりとりでは、「併記してあろうと、戸籍名を名乗っていただきます(きっぱり)」の事例ばかりに遭遇している。そうでない事例が、ほんとうにあるのだろうか。
けっきょく併記は「不満のガス抜き」の言い訳に使われているだけだ。実際には役に立っていないものに飛びつかざるを得ないように仕向けられて、ほら飛びついたと思われているのかもしれないが、役に立たないもののため事務の手間やシステムの改修など、税金をいくら使っているのか。そんな無駄を当事者の側が頼んでいるわけではない。
今後もこんな役に立たないものの拡充に金を使うのではなく、「希望しない人は改姓しなくていい制度」を用意すれば、婚姻届の欄(改姓しないという選択肢)がひとつ増えること、そして住民票や戸籍などの欄に工夫をするだけの手間で終わるのだ。
さっさと夫婦別姓をやるべきだし、世の中の生きづらさを解消すべきだし、これらを考えずに少子化だなんだと口先だけで騒いでも、まったく本気度が感じられない。「言っているだけ感」がプンプンしてくる。