またKindle Unlimitedで怪談を読んでいる。都内など自分の知っている場所について書かれた怪談は、読んでいてすぐ頭にはいってきて楽しい。
最近の実話怪談系の本は、幼いころや以前にこんなことがあったという昔の体験談というよりは、そういう話を忘れないままに大人になった人たちがアレンジを加えつつ語りつづけているうちに、新しい世代とのやりとりで話をさらに熟成させていって立派な怪談になってしまったという流れがあるように感じている。こうして怪談というのは微妙に変化しながら要素を増やし、大げさな話になっていくのだろう。
わたしは子供のころに何かすごいもの(たとえば幽霊とか異世界のもの)を見たということもおそらくなく、不思議な音や声が聞こえると「いまのはなんだったんだろうね」と周囲と語り合うなど、わりと健全に生きてきたつもりである。
小学校にはお決まりの「体育館の半地下に幽霊がいて名前はミドリさん」という話はあったが、夜に学校の体育館に行く用事はないし昼間は舞台の下(子供らの言う半地下)に掃除等ではいっても何も出ないし、それ以上を考えても仕方なかった。口さけ女の話題が出たときは、住んでいたのが田舎であったために、市街地ではありふれていたその話の到着が遅れたようだ。話を知ってまもなく、学校から信じるなとお達しが出た。
だが、怖いものを見たというのは、一度だけある。
説明がまったく付かず、数十年経ってもまったく「あれはなんだったのか」と首をかしげてしまうのだ。
いまなら「ここの山は誰それさんのもので勝手にはいってはいけない」などの通達がどこかからあるのかもしれないが、当時の子供たちは人の家の山だろうと勝手に遊び、そこに行くのには誰かの水田の畦道を乱暴に歩き、移動もぎゃーぎゃーとうるさかった。周囲の大人たちも子供に寛容で、うるさいといった理由では叱られることもあまりなかったと思う。
あるとき、道からそれほど奥まっていない林に向かって友達ら数人と歩いていた。こちらは5人程度で、男女を含めて同級生と年下だったと思う。
林の中に沼のようなため池のようなものが四角く整備されていた。近くには林業なのか椎茸原木の整備なのか、木が転がせるスペースが少しあったように思う。ただし普段わたしたち子供がそこに行くような時間帯には、大人は誰もいなかったし、何らかの作業の痕跡もなかった。
その角ばった形の沼に、涼みにいったのだと思う。寒い季節ではなかったことだけは覚えている。
ところが、もう少しで沼というときに。
異様な奇声。
4〜5人の若い男性らが目をぎらぎらさせ、ハイテンションで奇声を上げながら、次々にその沼に何かを放りこんでいる。
普段そこで誰かを目にしていなかったので、それが正規の使用者なのか赤の他人なのか、それにしても近所の人なら多少はわかりそうなものだがいったい誰なのか、何もわからず、わたしたちは硬直した。
いまにして思えば、いくつか可能性があるのだが(ストレスでやけっぱちになって投げ込んでいたとか、あるいは子供には目がギラギラして怖く見えたが普通にふざけていただけだったとか)、そのときはもう「どうかしちゃってる人たちがわけわかんないことしてるのに笑ってて、すげー怖い」しか思いつかない。
子供らは一斉に「なんかやばい人たち、怖い、でもキャーッと声を上げると気づかれる。さあみんな逃げよう」というテレパシーでも働いたのか、一目散に林から逃げた。
そして不思議なことに、めちゃくちゃ怖かったのに、安全な場所に逃げてからその話をしないままわかれた。
わたしはもしかすると、当日ではないにせよ、別の日に母に尋ねたかもしれない。あの場所は何をするところで、若い男性らが使う場所なのかと、それが知りたかった。
母からの返事が当たり前すぎたようで、わたしはそれを何ひとつ覚えていない。だが聞きながら「あの場にいた人たちは、怖い人たちだった」と、母の返事を信じていなかった可能性もある。