徳島出身の友達から夏に泊まりに来こないかと誘われて、新幹線やフェリーを乗り継いで出かけた初めての徳島県。到着したその晩、あるいは翌日の晩に、日航機墜落事故をテレビのニュースで知った。友達やご家族と一緒に「何人くらいだろう、生き残った人がいるといいな」と、話をした。墜落現場が山奥であり事故は夕方、詳細な場所までの情報が錯綜し、救助に時間がかかった。生存者は4人だった。
あの日のことは、忘れられない。
その後に予定通り国内線のキャンセル待ちで東京に帰ると伝えると、田舎の親が電話口の向こうで悲鳴のような叫びをあげた。無理もないことだ。だが、当時あったTDA(東亜国内航空、その後に日本エアシステム、現在は日本航空に吸収合併されて消滅)で無事に羽田に帰った。
500名以上の人が亡くなった。ご本人らの無念さ、そして残されたご家族にとってのその後の年月を思うと、言葉もない。