すっかり常連になった病院まで。いや、店でもないのに病院に馴染んでどうするという話もあるが。
ほぼ2ヶ月に1回くらい、簡単な状況確認と処方箋をもらうために出かけている場所だ。最初に別件で診察を受けてから20年くらいは経つと思うが、その後に持病が発覚してからは、だいたい2ヶ月に1回の常連患者になっている。
今日もかなり待たされた。予約制なのだが、わたしの担当医は時間のかかる患者が多いので、予測がつかない。
さて、待合室で思い出したこと。
だいぶ前だ。わたしがまだ「知らない人に声をかけて大丈夫だろうか、どうしようか」と、躊躇するような感覚が残っていた時代だ。ある高齢男性が「3番診察室にどうぞ」とアナウンスされたのに、決意に満ちた顔で、入り口が別になっている1番診察室の方角まで歩いていってしまったのである。アナウンスされた名前の男性だろうと思ったのだが、あーおじさんぜったい間違ってるよ、どうしよう、声をかけないと、歩くのに体力使う年齢かもしれないしな、いやしかしすごく決意に満ちているから、もしかして呼ばれた人とは違うのか、あのひとは1番でいいのか、わたしが間違っているのか。
……と思うまもなく、その高齢男性は、手前にいた看護師や関係者の誰にも聞かずに、そのまま部屋の奥の1番まで行こうとしてようやく周囲に助けてもらっていた。あー、やっぱり声をかければよかった。
そんなことがあったのはもう10年以上前だろうが、今日は似た話が。
自分で早足で動けるタイプの女性だった。わたしの前を早足で通過。アナウンスは3番と聞こえたのだが、その高齢女性は、歩きながら「2番だな」と自信たっぷりに言っていて、わたしはまたもや「あれ、わたしが聞き間違えたのか」という展開に。だが上述の例と違い中高年レベルの速度が出せる人だったので、様子を見てしまった。すると間違われた部屋の医師が愛想よく「隣ですよ」と声をかけ、その女性はまた声に出して「あらやだ間違っちゃった」と言いながら移動。
それにしてもなぜわたしは、自信たっぷりにしている人がいると自分のほうが間違っているのかもと考えてしまうのか。何歳になってもけっこうこの傾向がある。
今日は呼ばれるまでに2時間以上かかってしまい、そのあいだにいろいろな人たちを見たり、話をこっそり聞いたりした。たまには世間の勉強になることもあるし、あるいは同じ話ばかりをしていておたがいにかみ合っていない人たちの会話では、どちらかがそろそろ認知症に近づいているのか、あるいは片方の人が適当に受け流していておたがいにそれを気にしていないのかなど、余計なことを考えてしまう。
そして2時間以上待った割には、わたしは今回数分で診察を終えた。買い物をして帰宅したら午後2時近くになっていた。