人にはよくメールなどの最後に「ご自愛ください」と書いたりするが、おそらく人間は自分のことになるとあまり「ご自愛」を考えていないのではないだろうか。
ときおり受けている大腸検査が終わり、しかも今回はその場で発見され切除されるべきポリープも見あたらなかったので(←たまにあることで、発見されれば内視鏡で切るが、運が悪いとその検査後に入院になるよといつも脅されている)、本来ならもっと明るく過ごしていてもいいはずなのだが——わたしは、寛解期とはちょっと呼べない状態であるらしい。
本人にそれほど自覚はなく、普段も過度な食物繊維を取らないように意識している程度だが、目を開けて内視鏡の映像を見てはどうかと言われて、その場で説明を受けた。自覚症状があるかないか程度であってもこうして腸内を見れば普通の人よりは炎症があることがわかるだろうということらしい。
だが、最盛期のかなりひどい(真っ赤な)時代を覚えている人間としては、そう思いたいからというのもあるだろうが「そんなにすごいかな、専門医がそういうのだからそうなんだろうな」という印象で、すぐにはどう反応したらいいのかわからない。いっぽうで、自覚症状が薄い患者(わたし)に対し、おそらく予防的措置も含めて最大限の薬を処方してきた側(医師)にしてみれば「長い期間、あれだけ処方してきたのに、なんでいまひとつなのか」ということなのだろう。
ひとまず、似ている別の薬を試すことになった。
いまの薬と同系列だから影響はさほどないはずだが、お試しで飲んでみて数ヶ月したら、どちらの薬にするか決めましょうということに。ちなみに帰宅してから調剤薬局に連絡してみると、普段は使っていない薬なので今日は入手できないという。明日以降に受け取りに行く予定だ。
体はひとつしかない。人生も1回だ。もう少しだけ気をつけて生きていかねばと思う。この先に急な悪化で数週間の入院などのことがくり返されるのはまっぴらである。高齢に近づいたいま、できるだけ静かに過ごしたい。
みなさんもぜひ、ご自分にも「ご自愛」を考えていただければと思う。