正確には「半田付けに関する思い出」である。半田付けを自分でやった記憶は、たぶんない。
わたしの幼少時、父は何でも自分で修理してしまう人であり、ちょっとした日曜大工用品はすべて揃っていた。
そういえば父が現在の家を建て替えたのちに他界し、その家で通夜をやるため(近所の人たちがたくさん来られるように)ふすまや障子類を手分けしてすべて取り払ってしまったことがあった。そしてすべてが終わったのち、素人にはなかなか元にもどすのが難しい場所もあった。建てて少ししか経っていない家だったので、木の伸縮などにより、きつすぎたのかもしれない。
そこで母が近所の大工さんに相談すると、なんと大工さんは手ぶらでやってきて——「この家なら、工具とかありますよね」と、ふすまをきちんとはめこんだだけでなく、障子も含めてあちこちのすべりがよくなるように、工夫をしてくれた。
さて、半田付けである。
子供のころのある日。目が覚めると、自分のおもちゃ(やわらかめなプラスチックおもちゃだったか、塩ビ系のキャラクタグッズだったかは忘れた)に、ゆったりと長いハンカチが巻かれていた。いったいこれはなんだろうと思いつつ手に取ると、父が現れて「ハンカチを巻いてみた。なんだか雰囲気が変わって、きれいだな」と言う。母が横でそれを見守っている。何やら妙な雰囲気ではあったが、とにかくそのハンカチを取らない方がいいのかなと、出しかけた手を引っこめた。
父が出かけた。わたしはしばらくしてそのおもちゃに軽く触れたところ、ハンカチがずるりと外れて、その裏側から溶けた傷のようなものが出現。あわてるわたしに、母が気づいてやってきて「お父さん、おもちゃの横で半田付けやっていて溶かしちゃったけれど、(泣かれても困るからと)とりあえずハンカチを巻いて仕事に出た」という。それを聞いて、泣けてきた。
わざわざ枕元に置かず、わたしが「あのおもちゃはどこ」と尋ねてからでもよかっただろうに。
起きた瞬間にあれを見て「ハンカチを巻かれてなにか特別になった」と、わたしは思ってしまったというのに。
あれ以来、半田付けという言葉を聞くと「泣いたあの日」を思い出す。それから父が半田付けをしていたときにいつも横にあった妙な色の液体も思い出すが、あれは何だったのだろう。家であれをバッテリーと呼んでいたが、いま検索すると通常はバッテリーは無色らしいし、そもそも色がわかるような簡易な形状の容器に入れておくものでもないらしい、いったいなんだったのか。
ちなみに半田付けの「ハンダ」は語源が不明で、諸説があるそうだ。