日曜日の夕方に、近所のスーパーで棚を見たら、新米のコシヒカリ5kgが普通の値段で売られていた。ほかの銘柄はなかったから品薄であることはたしかだろうが、本格的にものがないときは必要でない人もパニックして買っていくので、いちおう、みなさんそこそこ冷静なのだろうと思う。
わが家はまだ少しコメがあるので、見かけただけで買わなかった。
それにしても、日本語で「家に明日のコメがない」という表現は、ある程度の年齢以上の人間が使うと「かなり暮らしが切羽詰まっている」という感じがする。パンがない、麺がないなら「ほかのはあるんでしょ」と言えるが、コメがないと聞いたら「困っているんだ」と反射的に考えてしまう。それくらい馴染みの食材である。